10月末、マリンビレッジのレストガーデンのアケビにたくさん大きな実がついた。
アケビは雌雄同株で雄花と雌花を有し、自家受粉するのだが花期が微妙にずれるので実のつき方には個体差がある。
同様に他の果樹の場合も何本か植えたほうが実付きが良くなるのはそれが理由だ。
数年前から1本が屋根まで繁っていたのだが、実は一個か2個くらいしかつかなかった。
今春、原人と庭人が山から持ち帰ったアケビで受粉させたので今年は実つきが良い。
子供の頃から今日まで、毎年のように山でアケビを採って食べているのだがこのアケビは見た事がない黄色がかった白だ。
普通のアケビの皮の色は薄い紫だが大半は虫のせいで茶色っぽくなる。
「大実白実?アケビ」として市販されていたものだが、野山には存在しない品種改良されたものだ。
何とも異様な感じだが葉も実の形もアケビには変わりない。
お客様に食べさせたのだが、反応はいまひとつで美味しそうな顔をしない。
開きかけた一番食べ頃の実を食べてみると・・・
「な・・なんじゃ~こりゃ?」
アケビ独特の甘さも味もなく、旨くないのだ。
何だか異様なものを食べた気分、こんなアケビは食ったことがない。
野生の鹿や猪、天然のマダイやウナギ、山の木の実、放置した果樹など食い尽してきたから今の食品に違和感があり、流通食材が当たり前と思えば違和感を感じないだろう。
野人がスーパーの果物を好まない理由はそこにある。
数年前にスーパーで売られていた紫色鮮やかなアケビは甘さと味が薄く違和感があった。
人は農薬の害にしか目が向かないが、肥料は食用としての植物の本質を大きく変えてしまう。
このアケビ同様に人が食べやすく立派に改良して本来の味を失ったものは多い。
大きくするだけでなく、酸味を抜き糖度を上げ、種のない果実まで生み出した。
それらはいくら甘く食べやすくても生命力は感じられない。
果実に種があるのは当たり前で、タネがあるからこそ果実ではないか。
知恵と努力の食文化とは言え、去勢された食べ物は何とも味気ない。
甘くて立派で便利な果物を作り出そうとする思考は今の機械文明と変わりない。
原始の世界に戻れとは言わないが、思考ベクトルを逆に向けて、果実の本質を失わずに本来の健康的な果実を量産する方向にはなかなか向かわない。
生命に家電同様「便利さ」を持ち込めばどうなるか考えたほうがいい。
食べ物がバランスを失うほど食べた動物がバランスを失って行くのは当然の道理だ。
12月のアケビ 種が糞詰まりにならない簡単な理由1
http://ameblo.jp/muu8/entry-10400217549.html
12月のアケビ 種が糞詰まりにならない簡単な理由2
http://ameblo.jp/muu8/entry-10400355214.html