自然の産物とは その道理 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

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自然の産物、自然食品、大地の恵みと言う言葉は良く使われる。

悪化した健康を取り戻そうと大半の人がそれらを求めて奔走する。

自然志向は健康産業なら当たり前、科学技術をもって天然成分の抽出に力を注ぐ。

しかしよく考えてもらいたい、この当たり前のように誰もが日常的に使う言葉は、言葉であって仕組みとはまったく無縁のもの。

テーマ、言葉と仕組みにも書いて来たが、この間違いが人類迷走の最大の原因だ。

オーガニック、ロハス、エコ然り、人は響きのよい言葉を心で捉えてその本質と仕組みを学ぼうとしなかった。

自然とは何か、健康とは何かと聞いても、ありきたりの言葉が返ってくるだけでこれまで誰1人として仕組みを理解している者はいなかった。

つまり、気が遠くなる程精巧な仕組み、いまだ人知も及ばない生態物理を「ひと言」で片づけている。

結果、答え、早い話、手っ取り早さに走った結末とも言える。

それが修復不能なほどの環境破壊、健康悪化を招いてしまった。

悪化の一途をたどるのは世界中でそれに気付いていないからだ。

野人は森羅万象の理を持って堂々と言えるが、人が自然の産物、自然食品、大地の恵みと信じている食品のほとんどは自然界とはかけ離れたものなのだ。

自然の道理が当てはまる流通食材は、養殖ではない魚介くらいで、あとは山の木の実、山菜、獣肉くらいしかない。

人が関与した穀物や野菜類、肉卵類はまったく当てはまらず人間の産物とも言える。

地球上には自然の産物以外のものなどない。

何を食べようが自由だが、健康食として体に入れるなら、そのような言葉ではなく、口に入れる最終の形が自然界の産物の「理」に適っていなければならない。

いくら成分、効能がどうであろうが人はそのままでは自然界に存在しないもの、理に適わないものを摂っている。

人間の「成分の道理」が間違っていないなら結果においてこれほど困ることなどないはずだ。

何をやっても解決策が見当たらなければ、頭を中立にして常識を持ち込まず生命の本質から考え直したほうが良いのではなかろうか。

その為に野人はこのブログで自然界の道理を書き続けて来た。

世界には他に生命の理を学ぶべき本はないからだ。

答えではなく、理を解し、自ら判断出来る人を育てたい。

間違った数え切れないほどの人類の常識を復元するのは野人ではなくそれらの人々だからだ。

長い時を要し、子孫に引き継ぎ定着するもの、それが常識だ。



伊勢で野人から学んだ宮崎の美容師ハナちゃんは、さっそく鼻息も荒く理を説き始めた。

今朝の記事に、「健康とはそもそも当たり前の仕組みであり目指すものではない」とあったが、その通りだ。

当たり前である「自然の産物」もまた目指すものではない。

余計なことをせずに放って置けば、地球が全ての生命にもたらしてくれるものなのだ。

何が余計で、何が必要か、その仕組みを知ることが理で、言葉で覚えるものでもない。



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草仙人ハナの・・ハナ変な日記

http://ameblo.jp/hana-hair/


参考 これだけ読めば自然の産物とは何かが理解出来る

テーマ 言葉と仕組み

http://ameblo.jp/muu8/theme-10032155274.html

テーマ 大地の仕組み

http://ameblo.jp/muu8/theme-10007454746.html

テーマ 子供が野菜を嫌う理由

http://ameblo.jp/muu8/theme-10032154980.html

テーマ 野人流学問のススメ

http://ameblo.jp/muu8/theme-10018550003.html