不妊症の対策 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

リクエストのあった不妊症の対策とは、前記の「食は本能」「食の本質」に書き連ねて来たことが野人の答えだ。

不妊症だけでなく、冷え性、うつ、貧血、低血圧なども存在するはずもない。

老化は避けることは出来ないが、他の動物より人の方が早く老けて寿命を全う出来ないこと自体おかしいのだ。

普通に暮らしていれば何の問題もないはずなのだが問題が多過ぎる。

人間にとってはそれが普通でも、地球から見れば普通ではないからこういう結果になる。

あれが原因、これが悪いと言うよりも、食に対する考え方そのものが間違っている。

あれが体に良い、これが効く・・と、成分にこだわった結末とも言える。

この2つの思考を比べて見ればよくわかるが、どちらも同じ考え方だ。

野菜や果物、植物の名と栄養、成分、効能はやたら出て来るのだが、本質についてほとんど語られることはない。

大麦、ケール、ゴマ、トマト、ブルーベリーなどに言えることだが、栽培については、せいぜい無農薬くらいで、商業ベースに乗せる為には肥料は使う。

自然、天然などの言葉も「人間流」の自由な解釈で巷に溢れている。

無農薬、無添加、有機であれば安全だと言う考えは植物、食そのものの本質とは関係なく、生命力ある植物、食べ物とは言い難い。

つまり市販されている野菜果物と大差なく、成分を抽出、濃縮加工した製品と言うことだ。

人類の歴史から見れば、周年植物を摂れた時代は近年しかない。

体調を整える為の量は元々それほど必要とせず、体はそのように出来上がっている。

それを、「不足」と決めつけ、さらに濃縮するなど、あくなきプラス思考と商魂の成せる業としか言いようがない。

ブドウ糖注射のようなもので、一時的に効果は見られるだろうが本来の体に戻す目的は果たせない。

個々の臓器、箇所しか見なければ根幹の原因はわからない。

生き物はパーツではなく、天文学的な数の多種奏者のオーケストラなのだ。

生き物に必要なものは単独成分ではなく、それら全体を動かす正常な細胞バランスの「命ある食べ物」であり、それで十分なはずだ。

それが欠如すれば、個人差によって様々な症状が出て来る。

「食べ物欠乏症」とも言えるもので、不妊症もその中の一つ。

2人とも、あるいはどちらか1人の「代謝」が正常に機能していないと言うことになる。

医学で臓器に「異常なし」と言うことは、科学医学では解明不能の「生命力」の低下しか考えられない。



5月2日の「不妊症記事のリクエスト」で・・

ブログ開始当初からの読者のsugi-hayama さんのコメント

「余計なものを体に入れないこと・・ですかね、いつもムーさんの言っている」


この答えは逆だった。


「最も必要なものを体に入れていない」から


余計なものがあまりにも多過ぎて必要なものに誰も気付かないとも言えるでしょう



不妊記事のリクエスト

http://ameblo.jp/muu8/entry-10878418725.html