学びの哲学 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

野人は高校の時から目的に合わないことはやらなかったが、それは狩猟や漁労など自然界から学んだ道理だ。

思考の起点を誤れば目的は果たせないし、手法を誤れば怪我をした。

目的を見据えることと思考の起点を定めることは昔も今も不動の原則、手法は経験と共に磨かれて行く。

ノートなど昔から書きとめる習慣もなく、本は読んで覚えるものでもない。

何処でどのように使うかわからなければ、使えない大工道具を揃えるようなものだ。

置物は飾って眺め、道具は使うもの、目的からすれば当たり前なのだが、それらが部屋中山積みされれば眺める目的も使う目的も果たせずガラクタ同然だ。

人の頭の中にはこれらの余計なものが多過ぎる。

多過ぎれば思考の妨げになり判断を誤る元になる。

それが野人の「学びの法則」であり昔からからまったく変っていない。

むしろ数十年の実践体験から磨きがかかりその道理に確信を持っている。

野人の記憶力は一般社会の中では極端に劣る。

昨日の事も忘れてしまうくらいで多くの人にご迷惑をかけている。

必要なことは時間に関係なくしっかり覚えていることから、必要の定義が違うのだろう。

子供の頃から無意識に頭の中で仕分けがされていたと言うしかない。

「必要なら見て聞けばわかる」が口癖で、当時のすべての教科書はそれが適用された。

それが・・あまり勉強しなかった理由・・言い訳のようだがまあ言い訳だ。

海や山から教わった科学物理学や美学のほうがはるかに大きい。

野人の思考回路の大半は学校の影響を受けない毒学・・いや、独学とも言える。



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獲物を狙う詩人 磯に溶け込む

http://ameblo.jp/muu8/entry-10129387296.html


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