子供が野菜を嫌う理由15 アダムとイブのイチヂクの葉っぱ論 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

木の実を山の宝石と言ったように、主食は肉類でも「癒しとときめき」の程度がまるで異なるのだ。体はタンパク質を求め、心は甘い木の実を求める。

どちらも本能には変わりないが、心と頭脳は木の生命力を必要としているのではなかろうか。

人が森林浴やヒーリングスポットを求めることもそれが関係している。

植物は花を咲かせ実を付ける時に最もエネルギーを発している。

その力が人には欠かせないから舌には旨味の他に「甘味」の機能が備わったのではないだろうか。

甘い木の実の種は鳥が運ぶ仕組みが出来上がっているが、下に落ちた実はともかく、枝の実を自由に採って大量に食べられるのは両手が自由に使える猿の仲間か人間くらいしかいない。

人間の本質、食性、ルーツを調べるなら猿から学ぶのも一つの方法だろう。

そう考えて、テーマにある「猿の惑星 猿から学べ」を書いた。

決して笑いながら読んではいけない、是非素晴らしい理性と感性で読んでもらいたい。

進化論、神化論、異星人論など多彩だが、決めてかかることもない。

木の実は進化した植物属の頂点であり、人はその生命力の「気」から知恵を得たのではないかと考えている。

これはまだ確証を得ていないからこれまでの理論と違い、「なかろうか」・・が多い。


アダムとイブがリンゴの実を食べた話もそれと重なる。

実を食べたから・・・イチヂクの葉っぱが必要になったことを考えると・・

羞恥心が生まれ・・・葉っぱで隠す知恵も同時に生まれた・・

リンゴの葉では・・はみ出てしまうから・・広い葉のイチヂク・・

こう考えれば、木の実は「着のみ 木のまま」

・・あれ? 違う。

駄洒落を言っている場合ではない・・真面目な話なのだ。

木の実は「気の実 知恵の実」とも言えるのではないだろうか。

その推測は長年肉と木の実を追い求めた野人の本能から出たものに過ぎない。

心の安定度がどう変わるか、知能がどう変化するか、実験すればいずれ答えは出る。

木の実は心と体を原点に戻し、病んだ人類を救うかも知れないな・・・

神は人類の未熟な知恵が今日の状況を招くことを知っていたようだ。

神様に・・「ごめんなさいね」・・と素直に謝り、アダムとイブの初心に帰ってやり直したほうが良いのではなかろうか、怒りの鉄拳が飛んでくる前に・・

是非そうしましょうね。


やはり・・イチヂクの葉っぱなどで・・隠すべきではなかった。
イチヂクの葉っぱは、そんなことに使われる為にこの世に生れて来たのではない。

最初の知恵の使い方が間違いの始まりだ。

人間の他に隠す生き物は存在しない。

まあこんなところで。


最後に全員・・・
大切なことを教えてくれたアダムとイブとリンゴとイチヂクの葉っぱに敬意を表し・・

禁断の葉っぱを思い浮かべながら、「黙とう~!」


これで・・しばしの生き抜きが出来た、面白かったかな?
しかし、ただのお笑いではなく核心をついているかもしれんね~



野人の笑言
人間が猿ごときの悪知恵に完全に翻弄されているのは食べる木の実の量の差に他ならない。

野人が猿には腕も頭も滅法強いのもまた然り・・


続く・・


猿の惑星 猿から学べ

http://ameblo.jp/muu8/theme-10010175104.html


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