日の出と共に目覚めて朝のトレーニング、海に向かって野人があみ出した独特の呼吸法だ。
太極拳のような静かな呼吸ではなく、渾身の力を込めて3回もやれば個々の全細胞が同時に活性、内臓は締まり、体中から汗が噴き出し、魔も寄り付かないような力が漲って来る。
昨夜のお化けはいつ去ったか定かではないが、翌日から現れなくなったから自ら天に昇ったのだろう。
夜は退屈で、お化けでも去ってしまえば何となく寂しいものだ。
「行くのはもうちょい待て・・」と言えば良かった。
最終日は隣町と伊豆から大学の同級生が迎えに来た。
アワビやサザエやイシダイなど幾らでも食えると言う野人の言葉につられ、よだれを流しながらやって来た。
本当にいじましい奴らだ。
面倒だがこの日はその時間に合わせて貝の他、十匹近くの魚を突いた。
奴らが氷を持って来なければ突いた魚は傷んでしまう。
本家に特訓終了の挨拶に行くと近所の人が集まって来た。
それまでも、野人が生きているかどうか昼間に見に来ていた。
最後の夜にとり殺されるかも・・と心配したようだ。
根掘り葉掘り聞かれたがお化けの事は言わなかった。
もう出て来ることはないし、何もいないとわかれば安心して近づけるだろう。
それっきりこの話が出ることはなかったが、それから5年くらいして再び耳にした。
喋ったのはヤマハの常務で、バーで酒を飲みながら聞いたのだ。
村の人が必死で止めるのも聞かず、幽霊と寝食を共にした?と言う。
何でそのことを知っているのか納得した。
ヤマハに入る前だったか、本家から電話があり、男が訪ねて来て野人の事を詳しく聞いたらしい。
おばさんはつい調子に乗って野人の罪業の数々を喋ってしまった。
クラゲで失神した話に、魔の洞窟に潜った話、そしてお化けだ。
後で喋り過ぎた事が気にかかり電話をくれたのだが、本当の事だから気にもしていなかった。
野人は当時のヤマハ社長と面接、社長の直轄として入社した。
仕事は海の特務員で社長や招聘した要人の遊び相手とボディガードも兼ねていた。
興信所が来ても仕方ないだろう。
完