野人珍話列伝 禁断の観音崎1 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

津久見市内から市営船で野人の生まれ故郷の漁村「落の浦」に向かう途中に観音崎がある。

岬の先端で波も荒いが潮も渦を巻いて流れている。

小さい頃は市営船でこの岬を回る度に船酔いしていた。

観音崎には海の安全祈願の石の観音像があり、潜ると海が荒れると言われ禁漁区になっていた。

潜るなと言うよりとても潜れるような海況ではないのだ。

それにこの近辺には潜水漁師もいない。

高校2年の夏休み、この観音崎に潜った。

幼馴染と二人で動力船で向かったのだが、当時は小型船の免許制度もなく、野人は中学の頃から機械漁船を乗りまわしていた。

幼馴染は中学高校と大分県の400m自由形で優勝、国体選手なのだが、野人と同じスポーツマンシップのかけらもなく、高校では酒と女と喧嘩と煙草に溺れていた。

親父のツケでバー通いしていたが、バーのネエちゃん達にはよくモテていた。

バーにエテ彦を連れて行く親父も大酒飲みだった。

体格も良く180cm80キロ、顔はゴルゴ13に似た風貌で子分も多いのだが相撲も腕相撲も野人に勝ったことがない。

プールが無い中学の水泳部仲間なのだが、先生がカナヅチだったので互いに泳ぎはまったくの自己流だった。

中学の時はこの男を含む4人で県大会自由形800リレーで優勝、全国大会まで行った。

前回のスタンバイミーで湾を泳いで横断した一人だ。

和彦と言うのだが、ゴルゴと言うよりゴリラに似ていたので野人は子供の頃から「エテ彦」と呼んでいた。

同じ勉強嫌いで遊び呆けても、6クラス中で野人はトップの方だったがエテ彦は限りなくどんケツに近かった。

どんケツでは県立高校には入れないが、芸は身を助ける、エテ彦は泳いで高校に入った。

よく互いの家にあがり込み、バーもパチンコも一緒に行った。

エテ彦は並みの不良ではなくグレもせず素直だった。

ただ、常識やルールの壁が無く、思考力にもやや欠けていただけだ。

パパとママを大切にし、水泳大会時はどんなに会場が遠くてもママが特大弁当を持参して応援に来ていた。

まあ早い話、マザコンに近いようなものだ。

エテ彦は、謹慎や停学通告で学校に呼び出される度に嘆く母親をいたわる優しさを持っていた。


続く・・


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