自然界に存在しない仕組みを作った人間はその弊害を既に被っている。
国家を挙げて築いた人間の仕組みは、もうどうにもならない状況に陥っている。
山を元に戻すには財政が破綻するくらいの財力と労力を要するだろう。
最悪の環境は止まることなく年々「山の崩壊」に向かって突き進んでいる。
放置された木々は生きて成長を続け、太くも重くもなり、表土は暗闇になる。
数十年、数百年後には自重に耐えきれず、急斜面の植林は通常の豪雨で崩れ去るだろう。
表土の崩壊は深層崩壊を招くきっかけとなって既に大災害を引き起こしている。
やがて人間は植林された山の麓には住めなくなることを示している。
この簡単な道理さえわからなかったのが人間の科学であり、今も気づいてはいない。
だから農地も同じようなやり方が常識として定着しているのだ。
土壌を壊して盛り土しただけのうねに同種の野菜を密生させているが、洪水が起きればひとたまりもないのは保水力も強度もないからだ。
人が毎回築くうねは「土壌」とは言い難く、重力と雨で固まり、強度も通気性も排水性も保水力も望めない。
ましてそこに異物ばかり投入して成長を促せば、それを吸い上げる植物は早く大きく膨らむのは当然の道理だ。
今の野菜が育つのは植物の「土壌創り」の一歩であり、異物の排出に過ぎない。
排出なくして健全な土壌が築けないからだ。
山も平地も土壌の仕組みが変わることはない。
この人知も及ばないような精巧な物理構造物の仕組みが理解出来ればそれを破壊しようなどという気持ちにはなれない。
そこには確固たる「地球の意思」があり、それはまた神の意思とも言えるものだろう。
植物が健全に育つのに必要なものは、この構造から生まれる生命エネルギーであり、断じて人が与える栄養分などではない。
ガリレオではないが、野人はこの森羅万象の道理を確信して断言している。
この地球物理学理論で世界の産業に挑む「セファリ」の人達に希望を託している。
彼らを駆り立てるものは自らの利益ではなく、世の為に尽くすという志だ。
協生農法研究所 SEFARI