晩年まで交流のあった発動機の設計重役は浜松から社長専用機で飛んで来たが、担当設計者も同伴していた。
担当者は飛行場で野人を見て、「何処かで見たことがある!」とのたまう。
「大学では花の応援団みたいな学生服、高下駄で歩いていた?」と言うのでうなずくと、こちらは見覚えはないのだがあちらは知っていると言う。
ツッパっていたわけでもなく、空手部創立以来の由緒ある学生服を先代主将に押しつけられ、仕方なくモデルのように着こなしていたのだ。
ちなみに、当時大ヒットした日活映画「嗚呼!花の応援団」の主役に抜擢されたのは同じ学部で剣道部主将の友人だった。
鹿児島の天文館で映画のポスターを見てずっこけたが、ポルノ女優との濡れ場はややうらやましかった。
野人は入学から卒業まで真冬も裸足に下駄で、靴も靴下も持っていなかった。
この船の設計者は母校の設計の大先輩だったのだ。
彼は「何で・・設計出て・・船乗り?」と首を傾げたが話せば長くなる。
船乗りはやむを得ず、本職はダイバーだ。
これを機会に、野人とヤマハ発動機とのパイプはさらに広がり、退社するまで楽器とリゾート開発とボート事業部を三股にかけることになってしまった。
それからは多くの大型、小型ボートのテストドライバーのような役目で、はっきりと構造の欠陥を指摘した。
今もこうして社会構造や常識の欠陥を指摘しているが・・
野獣はやはり人間とは視点が異なるようだ。
入社時から自由出勤、自由退社、やりたい放題、言いたい放題、規則は守らずタイムカードとも無縁で23年間真面目に勤め上げた。
退社時、社長に呼ばれ、「一体何が不満なんだ・・」と慰留され・・
「もっと自由が欲しいんです」と言うと・・
「お前ほど自由にやった男はヤマハには他におらんよ」とあきれ顔だった。
野人が言うのは心の自由で、まあ哲学は人それぞれだろう。
ヤマハには本当に感謝している。
東シナ海流7 用心棒稼業
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東シナ海流8 大名釣り