老人ホームの在り方 2 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

1日16時間労働しながら祖母の世話していた母の愚痴やため息を聞いたことは一度もなく、いつも微笑みながら世話をしていた。

その姿を見ていたから一言言わせてもらいたいが、あまりにも安易に施設に入れたがっているように感じる。

生活苦などの金銭的な問題もあるだろうが、労力自体は労働も世話も変わりなく、むしろ楽な方だ。

問題は精神的な苦痛だろう。

思うように行かずイライラするだけでなく、下の世話を好む人もいない。

その時代ごとの暮らしがあり、価値観も移り変わる。

今は自分の生き方を選べ、楽しむことが出来るのが普通の時代だ。

だからこそ他と比べれば介護が負担に感じるのだろう。そして精神的に追い込まれてしまう。

高度成長期の「家付き、カー付き、ババ抜き」と言う言葉にもそれが表れている。

しかしその介護を天職として選ぶ人も多いのだ。

野人には、財力があるのにそれを放棄する人と、あえてその道を選ぶ人にはっきり分かれているように見える。



母には「犠牲になった」と言う思いはなかった。

それは人として当たり前のことだといつも野人に話してくれた。

そのような運命だから、母はその運命を楽しんでいるようにも見えた。

母はやりたいことをやる為ではなく、人として生きたと思っている。

野人もやりたい職業など考えたことがないし、土地も家も物も欲しいと思うことはなく、それは今もない。

人として生を全う出来ればそれで十分なのだ。

ただ一つ、食い意地だけは旺盛のようで好奇心が絶えることはない。



続く・・