本を読まなくなった野人 1 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

ここ数年、あれほど好きだった本をまったく読まなくなった。たまに図鑑などで調べ物はするのだが、小説も含めて、哲学書、ノウハウ書などはまったく読まない。

読まないと言うことはあまり必要がなくなったせいかも知れない。

最初少し読むとだいたい内容が見えて来るし、そこにはその人の思いや考え方が詰まっている。

しかしもうそれほど時間はないのだ。今は単純な調べ事ならネットで十分だ。


高校生の頃からだったか、家に帰ってまで残業の勉強はしなかったが、連日のように本を読んだ。

サザエやアワビを潜って獲って市場からいただいたお金のほとんどは本代と寿司代とたばこ代と時計代に消えた。腕時計はいつも海で駄目にしていた。

4月から12月まで月に4、5回潜って毎月1万から2万くらいは稼いでいた。

司馬遼太郎などの時代物が好きだったが、日本、世界の文学全集も漫画も哲学書も分野に偏ることなく読み漁った。

ピンからキリ、表から裏、上から下まで文明を立体的に知るのが野人流の社会勉強だ。

好みはあるが最初から好みで読めば頭が偏ってしまう。

大学も社会人になってからも本好きは続き、ヤマハにいた頃は月に2万くらいは本を買っていた。図鑑や数学物理学書、自然科学書の他、特に歴史書を大量に読み漁った。


戦いの歴史、因果関係などはすべて頭に詰まっているが、そこから学んだことが一番大きく、そこには人類の過ちの歴史が詰まっていた。

それを繰り返さない為に史実を学んだが、年代や人名よりもはるかに因果が大切なのだ。

人は好きで戦争を始めるのではなく生き残る為だ。そして食糧へ行き着く。

全ての人に分け与える為ではなく、自分達だけが生き残る為の利権の戦争だった。