昨夜、「奇跡のりんご」と言う番組をやっていた。本の名前は聞いたことがあるが野人は読んだことがない。近代農法の本も有機も自然農法の本もまともに読んだことがないのだ。
無農薬のリンゴ栽培に挑んだ木村さんは非難を浴びながらも無収入で10年間頑張った。
疲れ果てて山で首を吊ろうと木を見上げた。何で山の木は何もせず健康に育つのかと疑問を持ち、そして足元の懐かしい本当の土の匂いに気付いた。
土を持ち帰り、畑の土と山の土の臭いを嗅ぎ比べてそのあまりの違いに驚いた。
耕さず、草を刈らないようにすると害虫を食べる虫が表れた。さらに夏草が表土を乾かさず、温度を下げ、そこに微生物が住み着き養分を与えた。そしてやっとりんごの木は実を付けた、そんな話だった。
野人は子供の頃から自然の中で育ったから、特に奇跡とは思わず見させてもらったが、非難を浴びても初志を貫いた木村さんには頭が下がった。
農業書を一冊も完読しなかった理由は、読み始めて、近代農法も有機農法も最初から道理の基本が違うと感じたからだ。
自然農法の本も観念的なものが強くて理論として確立されていないようだ。生産効率からも「業」としては難しく、どうしてもコストが高くなってしまう。
土を作らなければ、野菜を作らなければ、理にかなっていればそれほど高くなるはずはないのだが・・。
野人は、農業は地球生物物理学と考えているから進む道が異なる。完全循環型自然農法は近代農法よりも、経費、労力も含めた生産効率ははるかに勝る。
膨大な理論も自分で書きあげた。野人農園もそれが基本だ。りんごも何の問題もなく育つだろう。
ただ、果樹が目的ではなく野菜、山菜が中心だが、すべての果樹も同じことで何の苦もなく育つ。病気、虫害、連作障害など無縁で、そもそも存在しないものだ。あるとすれば人体と同じで、人が余計なことをしたからに他ならない。そこに気付かない限り農業は迷走するだろう。
今回の奇跡は、農業の誤った常識が生み出したもので、木村さんは思考錯誤の末にそれを元に戻した。奇跡ではなく木村さんのやり方が当たり前だと野人は感じている。
植物は肥料や農薬など、人の世話を受けない誇り高き「生き物」であり、植物が地上のすべての生き物を養い、健全を保っているという基本的な仕組みを人間は忘れている。そこに未熟な人間が手を出すべきではない。
地球上で生命を養う「完全なる有機物」を製造出来るのは水中では藻類、地上では植物だけで科学は遠く及ばない。
完全な植物、有機とは何か、改めて考え直す必要があるように思う。
有機という言葉だけが独り歩きして間違った常識を作りあげようとしていることに野人は危機感を感じている。
人に限らずすべての動物は本来の植物なしで生きることは出来ない。
野生の動植物は健全で、人と、人が関与した動植物だけが病に苦しんでいる。
人と動物だけでなく、植物までがおかしくなるのは、動物だけでなく植物の仕組みをも理解していないことに他ならないと野人は思うのだが。間違っているだろうか。