20代中盤の4年半は鹿児島県民で、東シナ海の島々を転々としていた。毎月一度、三日間は仕事と休養を兼ねて鹿児島市内の天文館のホテル暮らしだった。連日のように降って来る桜島の火山灰には閉口した。灰が積もれば市内の繁華街も車が走ると灰が舞い上がり、清掃車が水を撒きながら走り回っていた。
最初の一年間は国内最大の僻地である諏訪の瀬島に住んだが、ヤマハが入る前は電気も水道もない島で、ランプ、雨水を利用する暮らしだった。数百mの山はあったが水は無い。活火山で年中噴火していたからだ。つまり最初から火山灰にまみれて野人は暮らしていた。帽子嫌いな野人の頭にはよく火山灰が積もっていた・・それしきのことには動じないが、うっとうしいことに変わりない。移動はバイクかオープンジープだったが、灰が降るとサングラスは水中メガネに代わった。水中メガネは陸でも役に立った。噴火口の下の海で釣りをしていると「ド~ン!」と大噴火と共に火柱と噴煙があがる。見上げるとたまに直径1mもありそうなデカイ火山岩が空に舞い上がる。船まで飛んでくる心配がなければ釣りを続けた。灰がこっちに来れば場所を変える。
鹿児島で保養中にも灰の奴は空から降ってきた。「灰だらけの人生」とはこのことだ。何処へ行っても灰はついて来る。街中ではさすがに恥ずかしくて水中メガネは出来ない。
酔っ払って天文館公園のベンチで寝ていると灰の猛攻に遭い、顔に積もり、鼻の穴に灰が詰まり呼吸困難になったので傍の大木に登って避難、そのまま寝てしまったことがある。木の葉で灰が防げて快適な眠りについていた。誰かに棒で突かれ目が覚めると眼下には十人くらいの人だかり、下から呼んで起きなかったので棒でつついて起こしてくれたのは会社の先輩だった。人だかりの中に、本社から来た常務が鬼のような目をして立っていた。たまたま通りがかり、人だかりの視線を見上げたら、木から落ちそうな格好で、大いびきをかいている男がいた。
「どこのバカじゃ・・」と思ったら、先輩が
「ありゃ・・うちの野人です」・・
「恥ずかしい、早よう起こせ!落ちる」・・
一行に同伴してもう一軒御馳走になったが、当然のように噂は尾ヒレがついて社内に蔓延した。蔓延したのはこれで何度目か忘れたが、常に話を面白くするのは野人の使命だ。
言っておくが、野人は木から落ちたくらいでは動じない。さり気なくホコリを払ってその場を去るだけだ・・・