東海道五十三次の富士
先日、ぶらりと母校へ立ち寄った。
野人は東海大学海洋学部で船の設計を専攻、潜水工学の研究もやっていた。
1年生の時は湘南校舎、2年から研究室や実習船のある静岡県の清水校舎へ移った。
卒業研究は水中撮影で、連日のように水中でフラッシュを焚き、暗室で現像に勤しんでいた。
海洋学部の校訓は忘れたが、「若き日に汝の思想を養え」の一節だけは覚えている。
校舎は三保の松原の中にあり、休み時間は太平洋に向かい、思想を養いながらヨコシマな空想と思考に励んだ。
そしてカリブ海に沈む財宝に思いを巡らせていた。
「いつかきっと・・小型潜航艇を作って金銀財宝を~」と。
豪快な太平洋の荒波、延々と数キロも続く浜と松原、ここが野人の真の出発点だ。
この松原を裸足で走り、空手を始め、棒術、ヌンチャク、トンファーなどの武術に磨きをかけた。
武道ではなく、異国の地、ジャングルで徒手空拳で生き抜く為の実戦武術だ。
最小限の力でいかにして相手を倒すか、対象は人間とは限らず密林に潜む猛獣すべてだった。
この松原には野人の血とおしっこが染み込んでいる。
たまに・・ウンチもした。
木の上から獲物を襲って倒して食う技も磨いた。高い枝にコウモリのように足だけで数分間ぶら下がり、一回転して着地したり、砂丘をバック転10回転して転がり落ちたり、砂利浜を逆立ちで延々と歩いたりもした。
この海は急深で、潮が速く波も荒いので遊泳禁止だが、台風のうねりが来ると闘志が湧き、道着を脱ぎ捨て素っ裸で沖に向かって泳ぎ出す習性があった。
5m近い白波の中を泳いで帰り着くと、そこには警察の車が数台・・雨戸を閉めようとした住民が「人が溺れている」と通報したのだ。
そしてスッポンポンのままこってりとお説教された。
坊やも伸び縮み・・
ある日、沖で振り返ると女子中学生が数百人浜に群がっていた。
修学旅行らしく、バス数台で「羽衣の松」に来たのだ。
上がる場所がなくて沖で漂って待機していたのだが、お弁当を広げて食い出したので仕方なくスッポンポンで上陸した。
野人が聖火ランナーのように軽くランニングして松原に向かうと、スズメの群れは阿鼻叫喚と共に左右に分かれた。モーゼの十戒のように・・
まさか海から裸の野人が走ってくるとは夢にも思わなかっただろう。 お弁当どころではなく、ウインナーも口から飛び出る。
道着を脱ぎ捨てた松原のブッシュに飛びこむと、そこには抱き合ったアベックが・・そして絶叫と共にパンツも穿かず一目散に逃げ去った。
何か勘違いしたのだろう。
脱いだ場所をちょっと間違えただけだ。
とにかく伝家の宝刀を公開しまくった一日だったな。
数十年も経つと松原の様相も変わり、ブッシュも砂丘もなかった。
学食で好物の東海ランチを食べようと思ったのだがそれもない。
そして、見るからにひ弱そうな学生ばかりが歩いていた。
よく上がったボクシングのリングも見当たらない。
教授達もとっくに異次元の旅に出ていた。
当時住んでいたのは清水次郎長の生家の横で、野人が暮らしたアパートは火災で今は無かった。
毎日のように通った次郎長通りのおにぎり屋のおばちゃんが野人を覚えていた。
たぶん真冬も高下駄でハンサムだったからだろう。
よく食べ物を恵んでくれた奇特な人で、今は歯も多少欠けていた。
これでやっと清水へ帰った気分になれた。
淫行・・いや・・光陰矢の如し・・・だ。