温泉は本当に体に良いのか | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

温泉はすべて快適で体にも良いと思われているようだが、野人はそうではない。わからない、何とも言えないと言うのが正直なところだ。温泉に入るのは別に好きでも嫌いでもないがわざわざ行く事はない。温泉さえ出ればと観光地はやたら地下を掘り続けて来た。温度は低くても一定の鉱物を含めば一応温泉とされてきたからだ。井戸水を沸かすのと大差ない。井戸水や湧き水も含まれるミネラルなどで味も異なる。温泉は太古から傷の治癒などに利用された歴史がある。野人の考えはあまり一般的ではないが、温泉の持つ治癒力は、含まれる成分ではなく他のものだ。地球の気を含んだ電気エネルギー水のようなものだろう。土中に潜るうなぎやスッポンや蛇で精が付くと言うのもそれが理由だ。俗に言われている遠赤外線効果のようなものだ。鉱石にはそのようなものがいくらでもある。だから温泉は地域によって成分が異なる。人はやたらエネルギーの類を求めたがるがそれも余計なこと。コップにはコップ一杯の水しか入らず、本来は減ることのないものだ。補充する事よりも減る元である余計な事をやめれば済む事だ。おかしな常識に身を任せ、余計な事と思わないからその方向に思考が進まないだけだ。

うなぎやスッポンも生息する土壌と水で味も精力も異なってくる。人工池での養殖ではそれらは望めないだろう。魚も動物も植物も野菜も、生息する場所によって味は変わるのが当たり前なのだ。スーパーに並ぶ同じ味の野菜ほど珍妙なものはない。人の体はそもそも温泉など必要としないし、その水に順応してきたわけでもない。雨水と地表を流れる川の水に何万年も対応してきたのだ。温泉が鉱物などの「成分重視」なら、体に良いかどうかなどわかるはずがない。肌が硫黄泉を拒絶、湿疹の出る人もいる。それぞれの特性から薬としての作用は多少あっても、人は薬の湯に浸かるようには出来ていない。すべすべ感やしっとり感、体が温まるなどの即効性はあるが、それは石鹸やシャンプーの使用感と同じものだ。湯船に入れる浴場剤も同じ事だ。はっきり言うなら「体に良い」はずなどあり得ない。皮膚に薬を塗っているようなもので、好みは仕方ないがまったく余計な事だろう。川や海を汚染させるだけだ。温泉の最大の問題は、皮膚の微生物にどのように影響するかだ。中には微量だが生き物にとっては劇薬も含まれている。温泉の中で泳げる魚や生物は少なく、温泉は生命を育む水ではない。そこが川の水や海の水と全く異なるところだ。川には木の葉や実の成分も流れ込む。だから菖蒲湯や柚子湯など問題はないが、ヤツデやエゴの実など量によっては毒性の高いものもいくらでも自然界には存在する。天然成分なら大丈夫と言う考えは捨てたほうが良い。柚子湯に毎日入り続けたら皮膚がどうなるかなど誰もわからない。つまり楽しむのは良いが、天然成分であろうがビタミンであろうが肌にとっては余計な事には変わりないのだ。余計なプラス思考が人をそれらに走らせる。人間独自の常識ではなく、森羅万象の常識を基準に考えるべきだ。地球上で命を育む最高の水は海水であり、生き物に必要なミネラルのすべてを「バランス」よく含んでいる。海水に浸かっても何の問題もないし、むしろ体の細胞は喜ぶはず。だから野人は温泉は海水の足元にも及ばないと確信している。無機成分の異なる温泉や浴槽剤より海水のほうが間違いなく生命には優しい。変なものを浴槽に入れるなら汲んできた海水をコップ一杯入れたほうがマシだ。明快な道理だと思うのだが間違っているかな?