大地に生きる2 農山漁村 地域興しマイスターとして | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

5年前だったか、国の制度で地域の活性化をはかる「マイスター制度」があった。

平たく言えば師匠という意味だ。

それぞれの分野の専門家を県が認定、希望した地域に講演、講師、アドバイザーとして斡旋、経費は国が持つという制度だった。

 

三重県には5人いて野人はその中の一人だった。

名詞も自分の会社のとは別に県職員と同じものを持たされた。

所属は農林水産商工部で、あれば色んな公共施設を調べて回るのに便利だ。

 

年に一度国内のどこかでシンポジウムが開かれ、秋田の白神山地や鹿児島や沖縄など県職員に同行、経費はすべて県が持ってくれた。

毎回各地からの参加者は数百人、全国のマイスターリストが渡され、それぞれの県が認定した多彩なマイスターの称号があったが野人と同じものはなかった。

農業漁業、林業畜産、商品開発、環境デザインなど専門ジャンルがはっきりしていて薬草というのもあった。

野人の称号は「自然体験マイスター」で、記載された専門分野は「海洋全般、自然科学、植物、山菜、薬草、魚介、生物、自然体験企画」と長かった。

 

どの大会も、最初に実例を踏まえた基調講演が二件あったが、まったく手ごたえは感じなかった。

POとしての活動が多いのだが、先が見えない内容が多く、計画性も詰めもなく、社会的に良いことだからとにかくやってみようという情熱から始まったものばかりだった。

「とにかくやってみよう」では家も建たない。

何とかしたいと言う熱い思いは伝わってくるのだが。行き詰まれば周囲に迷惑をかけるばかりでなく税金の無駄遣いにもなる。

 

全国で問題になっている市町村が補助金で作った「負の遺産」はそのようにして生まれたものばかりだ。

最初に「補助金ありき」か「情熱ありき」の違いだ。

それぞれ無責任と自己満足のような気がしてならない。

野人はボランティアに頼るのもあまり好きではない。

各自が生業として成り立つような計画と仕組みを作らなければ波及は難しいと思っている。

税金で賄ったり、失敗の穴を埋めるほど愚かな事はないのだ。

補助金にしろ、それがうまく行くか行かないかをジャッジする人がいないから負の遺産ばかりになってしまったのだ。

 

マイスターとしての活動内容は、夜間の公民館での講演や市町村のアドバイザー依頼、長期にわたって負の遺産になった公共施設の再生にも取り組んだ。

年に10回近く講師講演依頼があり、3年間で国の制度は終わったが、県独自で名を変えて今も存続している。

 

視察と称して国会議員から市町村まで経費を使うことは恒例だ。

しかし全てと言っていいほど行く先は「成功例」だ。

しかも勉強もせず基礎知識も持たない自分達のものさしでそんなものを見て理解も判断も出来るはずがない。とにかく見てみようと言う考えだ。

真似しても仕方がないと思うのだが、「良いところを学ぶ」という大義名分が常識になっている。

だから税金で全国に似たような負の遺産の山が出来たのだ。

 

失敗例のほうが圧倒的に多いと言うことに何故気づかないのだろう。

失敗例の視察はあまり聞いたことがない。

歴史から学ぶと言う事は、勝因ではなく敗因のほうが数倍も大切な事なのだ。

敗因がわかれば勝因は自ずからわかるがその逆は難しい。 それが野人の兵法であり哲学だ。