占いにのめり込んだノルウェーの女性議員 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

いつのニュースだったか、ノルウェーの女性国会議員が占いに使った電話代が77万で、それがすべて公費だと言う。女性にとって占いと言うものは立場を忘れてハマるくらいの魔力があるようだ。日本でも、占いにはまり借金に苦しむ女性は多いが、星占いや血液型占いに凝った男はいまだ知らない。一人だけ知ってはいるが、それは女性占い師への下心だった(笑)。しかし彼女から相談を受ける占い師も仕事とはいえこれでは本当に困ったことだろう。占いを参考にするのは構わないのだが、これでは自分の思考が退化するだけだ。

野人の血液型がAと聞いてほとんどの人が「そんな馬鹿なことはない!」と言い切るのにも閉口する。血液型など幾種もないし性格とは何の関係もない。ちなみに野人は「立つ年」で「おうし座」だから「種付け牛」には向いているかも知れない。

人は迷う、自分の道は自分で切り開かなければならないことは十分承知していてもどうしても何かに頼ってしまう。人に助言も求める。「迷い」はその人の「思い」だが、その原因は現実の出来事にある。思うようにして良いなら誰もが深刻に迷わない。現実の行動、言動に伴う「結果」はすべて「成るべくして成る」道理。数学物理の方程式と答えのようなもの。数学物理が苦手な人は多いが、その「考え方」は現実の生活そのものだ。人は思いだけでは生きられない。太古から男は狩りの結果を出さなければ家族が滅び、戦いに敗れても同じ運命をたどってきた。思いとは別に人は「結果を出す術」を何万年も磨き続けてきた。それが「人の知恵」だ。知恵は人から学ぶというより自分で身につけるものだが、先人が発見した知恵で身の回りに応用出来るものはたくさんある。ただ、そこに気が付かないだけだろう。気が付けばいくらでも役に立つ。野人の人生で一番役に立ったのは数学物理の基本的な考え方だ。試験のような難しい問題ではない。絶体絶命の中で何度か命さえ救われた事もある。しかし学校での勉強が社会で本当に役に立ったと言う話はほとんど聞いた事がない。ほとんどの人が別物だと思っているようだ。中学高校では得るものが多かったと感じているのは野人だけなのだろうか。がむしゃらに覚える勉強などはやったことがなく、考える事のほうが多かった。だからノートは持っていなかったのだ。

当たり前の事だが、知っていると言うことと使いこなせる事は天地ほどの差がある。情報が氾濫する時代だがメディアの言う事だけを鵜呑みにしていれば自分では判断が出来なくなるだろう。聞くだけではなく、もっと基本的なことに目を向けて自分の力で考えるべきだろう。楽をすれば答えは早いが、それなりのリスクもあるのだ。

このエッセイは食が中心だが、食の本質についても知っているようで知らないことがたくさんあるはずだ。これだけ書き続けても語り尽くせるものでもなく、野人もまだ勉強中なのだ。安易に鵜呑みにして何でも試して先へ先へと進もうとしているように見える。その結果、求める答えは見えず、さらに健康や環境に難問を招いているようだ。大切な事は先ではなく、足元であり、生命の原点にさかのぼる事だ。