東シナ海流35 台風で島が壊滅 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

9月、最大の台風に島が襲われたが、仕事と休養を兼ねて鹿児島市内に出張中で、戻れなくなってしまった。会社の10人乗りのアイランダーもセスナも飛べず、定期船も欠航だ。

今でも記憶に残る「台風19号」だ。その19号台風は前代未聞の進路をとった。後にも先にもそんな進路は記憶にない。周囲22キロのちっぽけな諏訪瀬島を一周したのだ。しかも三日かけてゆっくりと。原因不明とされてはいるが野人にはわかる。黒潮本流の深い海底から一気に突き出た諏訪瀬島は活火山の島で、強烈なエネルギーが渦巻いている。それは人をも弾き飛ばすほどの強烈なものだ。だからちょっとしたことで何人もの人が死んでいった。島民のほとんどが未確認飛行物体を当たり前のように目撃している。強烈な磁場エネルギーがそれらを引き寄せているようだ。野人も昼間2回目撃した。台風も同じようにその力に振り回されたとしか言いようがない。火山灰が堆積した島に集中豪雨が続けばどうなるか、頻繁に発生する鹿児島の土砂災害でもわかると思う。

台風が去り、やっとアイランダーで帰島したが、上空から見た諏訪瀬島は無残な姿を晒していた。島の緑が「虎刈り」になっていたのだ。崖崩れは二百数十箇所。数少ない民家も、一軒流され一軒残り、その隣がまた一軒跡形もなく流されていた。ヤマハの飛行場の頑丈なクラブハウスは屋根が半分吹き飛び、野人のベッドは散々な状態だ。道路は数箇所寸断され、歩いて切石港へたどり着けばデリック小屋も、ウインチのある船舶倉庫もなかった。3,5トンの笹森丸は土砂に埋もれ、かろうじてマストが地上に出ていた。港に続く道路には海から巨大な石が打ち上がり完全に道を塞いでいた。直径2mもある球形の石だ。10人で押してもびくともしないような巨大なもので波の凄さがわかる。ヤマハ施設の復旧は後回し、集落では50人の内、5人が行方不明になっている。鹿児島には災害対策本部が置かれ、自衛隊の大型ヘリが数機飛んで来た。県警機動隊が捜索を開始したのだ。ヤマハ社員も捜索に加わった。ただ、島の男は誰も加わらなかった。学校の校庭で棺桶を作ってはいたが、加われない理由があるのだ。島の人達は死者を極端に怖がっていた。島には寺もなく土葬の風習が続いていて、不可解な死や出来事があまりにも多過ぎたのだ。それも島の強烈なエネルギーの成せる業だろう。復旧中と後に、野人にとってはたいしたことではないが、皆にとっては「身の毛もよだつ出来事」が2件続いた。

うだるような暑さの中、捜索活動は続いた。50人の機動隊と住友建設が十数人、ヤマハが4人参加した。最初に遺体が見つかったのは島に定着したヒッピーの、愛称「ロク」だった。本名は知らない。たまにロクの家の前をジープで通ると、幼い二人の娘が「こんにちは!」と丁寧に御辞儀するのだ。後にも先にもあんな丁寧な挨拶は知らず、いつも感心していた。土砂が家を直撃した時、奥さんと二人の娘は隣家へ行って不在で、家にはロクと生まれたばかりの赤ん坊と、東京から来た友人のヒッピーがいた。掘り出されたロクの姿勢に全員が絶句、ロクの遺体は地上からわずか数十cm、片手を地上に伸ばそうとした格好で見つかった。片手はビールケースをしっかりと抱えて上から覆いかぶさっていた。ケースの中からは赤ん坊が遺体で発見されたのだ。それに全員が・・・涙した。