子供は今の野菜が食べられない | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

幼児、子供の大半は野菜嫌いだ。子供の頃の野人もそうだった。

特にニンジン、ピーマン、ニガウリ、セロリなどは人間の食べるものではないと信じて死んでも口にしなかった。

騙されて食べても不味くて吐き出していた。

畑のトマトもキウリも食べたのだが、そのままでは旨いものでもなくマヨネーズをたっぷりつけて食べていた。

ところがイタドリやタケノコやワラビは好んで採取してきて良く食べたのだ。

アオサも牡蠣も磯で採ったらそのまま口にしていた。

同級生にも野菜が好きでたまらないというのはあまりいなかったようだ。

カレーなどの強烈な味や、肉と一緒なら食べられた子は多いが、野人は吐き出した。

今でも思うのだが、「葉っぱ」はそのままでは基本的には不味い。

刺身は何もつけなくても味があって旨いし果物や木の実もそのまま食べられる。

人は糖分は好むが、苦味や渋味やエグ味は敬遠するがそれは本能だ。

渋味や酸味は未熟な食べもの、苦味は毒草、エグ味はアクなどの異物なのだ。

大人になって、頭の中で「これは人の食料」だと認識すれば慣れもあって食べられるようになる。

ピーマンやゴーヤが食べられない子供は体の機能が正常だと言うことになる。

煮たニンジンはこの世の中で一番イヤな臭いと味だった。

生はまだマシだが。それを無理やり食べさせるのは良くない。

本能が衰退して頭に頼るようになってしまう。

つまりおかしな常識が養われて行くのだ。

ムー農園のニンジンジュースや生ニンジンを口にしたが体の拒絶反応はそれほどでもなかった。

たぶん肥料をやらないから「エグ味」がなかったのだろう。

庭のセロリも初めて生で食べられたが驚くほど甘くて旨く、今までのセロリは何だったのだろうと思う。

セロリは逆転して好きになったがスーパーのセロリは相変わらずエグくて食べられない。

野人は今までニンジンやピーマンやゴーヤが嫌いなおかげで本能を失わずに済んだ(笑)本能の恩恵には感謝している。

人にはない「研ぎ澄まされた味覚と嗅覚と知覚」を得る事が出来た。

それは料理人も舌を巻くくらいで、本質を教えた事も多く、お礼に得意な技術を教わった。

幼い頃から子供に無理強いはしないほうが良いだろう。

いづれ自分で判断するようになるのだ。

こんなに食料が豊かな時代はないのだから食べたくないものは食べなくても良い。

そのほうが親のような現代病にはならないかも知れない。



野人と同じようにある日急に食べなかった「野菜」を食べた子供を数人記憶している。一人は十数年前、前の会社での収穫体験企画だった。

千葉の5歳の女児が、収穫したキウリを水の入ったバケツの中でいじって遊んでいた。

気が付いたらキウリを半分かじり、見る間に一本食べてしまったのだ。

お母さんは驚き、「キウリなど絶対に口にしなかったのに」と大感激していた。

それは何も与えない地力だけのキウリだった。

子供は頭ではなく本能で判断する。

親はそれをもっと大切に育ててあげるべきだろう。

母は意地でも食べさせようとしたので当然根性で対抗した。

「ウンコまみれの野菜は食わん!」と・・

カレーに刻んで入れた数百粒のニンジンを、1時間かけてすべてつまみ出したのだ。

それ以来何も言わなくなった。

野人はニンジンのビタミンAなどまったく必要としなかったのだ。