「代わりじゃない幸せ」という価値観。 | 凸凹と波の中で。

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凸凹と波の中で、自分と向き合いながら寛解へ。

注:)ブログというよりもはやエッセイです。超長文。

 

 

 

 

 

あっという間にGWが終わり

初夏のような汗ばむ日も出てきた。
 
前回ブログを更新してから約2ヵ月
目まぐるしく状況が変わり
この2ヵ月は本当に「あっという間」だった。
 
いろんな情報を整理するのが大変で
人生観を改めて考えるきっかけになる出来事があった。
 
「これからどう生きていきたいのか」
何を一番大切にして、何を妥協して
いろんなこととどう折り合いをつけて生活していくのか。
 
「私の人生は波乱万丈になるようにできているんだなぁ」
と笑っちゃうけど
きちんと考えるための時間、でしかなかったように思う。
 
 
 
 
 
前回更新時
体調を崩し始めていた。
 
以前からの精神科と婦人科以外に
整形外科と内科への定期的な通院をし始め
仕事が休みの土曜日を使って、毎週どこかへと通院している日々だった。
 
次第に体調が悪化し始め
以前からどこかしらの不調は当たり前で
「体調がいい、何も不調がない」という日はない私だけど
 
「起きていることができない」
そんな体の痛みと倦怠感と38℃前後の発熱が連日続き
あちこちの診療科で原因を探り
最初は【筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群】の診断を受けた。 
仕事は休職させてもらった。
 
たしかにそんな症状ではあったし
食欲も落ち、精神科では「心身症のような感じ」と言われた。
 
体はきつすぎるのに
鬱のような症状は全くなく
このまま仕事ができないことに対する失業の不安等も特になく
 
「転職するしかないとなっても、それはもっと違う向いた職業に就ける可能性が出てくるってこと。
 どんなことも、新しい自分を知る機会だよ」
 
そう話す私に恋人は「ポジティブすぎる…」と呆れ
内科の先生からも
「それだけ身体症状きつく出てるのに悲観的にならないのがすごい」
と謎に褒められるような日々。
 
だけど原因はわからず
よくなる傾向が見えない体調に
「既往症の中に原因がある、という可能性を否定するため」に婦人科を受診した。
 
結果、
以前からの持病である「子宮内膜症・子宮腺筋症」の悪化
が原因であることがわかり
放っておけない大きさの卵巣腫瘍も見つかった。
 
 
 
言われてみればたしかに
体のきつさや倦怠感や発熱は
現在ミレーナで治療中であっても時々起こる「酷い生理痛」の症状そっくりだった。
 
婦人科の前医からの紹介状は紹介状としての役割を果たしておらず
経過も何もわからないものとなっていて
私がこれまでの症状や治療法の変化を説明するしかなかった。
 
「現実問題それだけ体調が悪くて、そういった症状は環境の変化でだましだまし抱えてた爆弾が突然爆発したようなもの。
 だけど経過がわからない以上、はい子宮取りましょうか、とは言えない。あなたはまだ子どもを望める年齢だから。
 最初に摘出する予定だった時から6年間意思は変わってないんだとしても、この先5~6年、本当に子どもを望めなくなるまで
 子宮卵巣摘出したことを後悔しないのか、パートナーもいるなら一緒にきちんと考えて。
 とりあえず卵巣腫瘍は放っておけないし、経過観察中にこれからの治療について、仕事より人生設計を第一に考えてね」
 
 
 
私は契約社員で
8月末の時点ですこーしでも働ける状態になっていないと契約終了となる。
 
今の仕事が好きだからこそ
早く治療方針を決めなければ、と焦り
ただひたすらに考えた。
そして気づいた。
 
この問題は、
私と実家の関係性と本質的な部分では一緒だと。
 
 
 
 
 
私は「普通の親子関係」を望んでいた。
 
それが叶わないものだという諦めを割りきって
悲しみを抱えた上で代わりではない違う幸せを見つけられるようになるまで、相当の時間が必要だった。
 
それと同じで
私は「普通の結婚生活、普通の子育て」をどこかで望んでいた。
 
「私にはできない」という諦めは
2回の離婚を経験して突きつけられた価値観でもあり
私生活が充実していて、私が大切にしているものを自覚できたからこそ、それがより強固なものとなった。
 
 
 
でもいざ子宮摘出となると
その「どこかで普通を望む気持ち、だけど叶わない悲しさ」を割りきって
「代わりではない幸せ」という価値観にたどり着けるのか、
自信がなかった。
 
今の恋人と本当に何も問題がなく
喧嘩したことも違和感を抱いたこともなく
「相性がいい」という言葉で済ませていいのか、と思うくらい順調、というのも
そう思う理由のひとつでもあった。
 
「この人とならうまくいくんじゃないか」
そう思ってしまう自分がいて。
 
 
 
だけど
この問題が実家との関係性の問題と根本的には同じ、と気づいて
そして
子宮卵巣摘出すれば何もかも解決というわけではなく
急激な更年期障害を防ぐために治療は引き続き必要、ということも踏まえて
「何を一番大切にして、何を妥協するか」
それが見えてきた。
 
 
 
私はやはり今の生活の基本となっている
「音楽をはじめとした表現活動」
つまり、自己表出できることが心身の健康に繋がっていることを深く実感しているし
それを安定して続けるための経済的収入
のために、この天職だと思える仕事を続けたい。
 
「普通」を望む気持ちはあるけれど
それを実現したところで
「自分を犠牲にする」という感覚を持ってしまう。
 
そして
爆弾(子宮卵巣)を温存するということは
今回のように、突然体調を崩して日常生活も脅かされる可能性を抱え続ける
ということでもあった。
 
つまり、「普通を望む気持ち」が
今の自分だけではなくこの先数年の自分も犠牲にする。
 
それに気づいて
私は覚悟が持てた。
 
とはいえ
人生を左右するような大きな選択
きちんと自分で自分の状態を知りたかったし
経過を知らない先生に決めさせるのはなんか嫌だったから
息子を出産した、元々子宮摘出予定だった病院にカルテ開示請求をした。 
 
そう助言をくれた内科の先生も
とにかく休めるよう薬を調整してくれている精神科の先生も
傷病手当を受給できる休職にしてくれている職場も
本当に、ありとあらゆる「適切」に恵まれている。
 
 
 
 
 
私はバンドをふたつ、ベースとドラムでやっていたけど
その日の体調もこれから先の予定も見えない状態で
ドタキャンしてしまう可能性があるのに「実際に相手の時間を奪う活動」はできない、と判断し
バンドとしての活動は当面お休みさせてもらった。
 
元々「ひとりで音楽やるため」にギターで再開した音楽活動
「人と音を奏でる楽しさ」は恋人が再認識させてくれたようなものだけど
自分の表現へのこだわりが強くなる上で
本職のベースはもちろん、ドラムも1年足らずでめきめき上達した。
 
私は音楽が好きなんじゃなくて
「表現」が好きで
音楽は表現の手段として一番ちょうどいいだけ。
 
ひとりでの活動やコラボといった音源提供
幸いにも、私はいろんな創作ができるようになっていて
「今の私」を伝える、アウトプットする手段も
人と音楽やるための手段も
たくさん持っていた。
 
 
 
すべては繋がっている。
そんな奇妙な現実を不思議に思うけれど
体調不良の日々でも、私が相変わらずポジティブでいられてるのは
周りの人々の支援、そして何より
これまでのいろんなことを分析し学習してきた私の頑張りでしかない。
 
 
 
 
 
全パート自分演奏のオリジナル曲第2弾を、公開しました。
 
このアメブロ(前代)で知り合って、
今は親友と思っている友達の、特別な誕生日に向けての制作でした。
 
彼女の初恋をテーマにもらって
弾き語りで曲を作り約4年。
 
全パート自分で演奏して
きちんとレコーディング、MIXしてもらった音源です。
動画の作成は自分でしています。
 
 

 
 
 
そして
このオリジナル曲を元に執筆した同名の小説も、
連載という形で公開し始めました。
 
【冬服】小説版
 
毎週土曜日10時更新です。
興味を持っていただける方がいらっしゃいましたら、
ぜひ読んでみてください。
 
私が目指しているのは「総合的な表現」。
きっとその感覚は
この小説を書いた2年前にはあったんだろうな、と
今となっては思う。
 
曲(動画)の世界観をより深めるための小説。
 
私の創作の理由はアウトプット=自己表出のためであって
「その時の自分を残すこと」を一番の目標としているから
カバー曲であっても「思い(自分)が反映されていること」に重きを置いている。
 
一次創作(オリジナル)は作った時の記憶が強烈に残っているからこそ
後から形を変えて(バンドサウンドにしたりして)公開する理由はあまりない。
その時の感覚にフィットするものがあれば、するのだろう。
 
 
 
昔自殺したバンドメンバーや
亡き実父の演奏動画
 
そういう風に「形として残っていてよかった」と思う側にいるからこそ
「今の自分を残したい」と思うようになった。
決してクオリティが高いものでなくても、「今」が反映されていれば私にとっては「表現」なんだ。
 
 
 
 
 
子宮卵巣摘出手術の日程が決まった。
約一月後。
 
きっと私はまたいろんな心境の変化を経て
どんどん変化していくのだろうな。
 
体のあちこちにガタが出て
今は右目の視力が急激に落ちてしまって
日常生活だけじゃなく音楽活動にも支障が出ているけど
 
私はどこまでもポジティブで
絶望しないための考え方、生き方を積み重ねられてきたからこそ
今日も穏やかに笑っていられるんだろう。
 
いろんなことができるようになっていたのも
今の職場で手厚い対応を受けられているのも
 
いろんな人に恵まれて
過去の私が今を助けてくれていて
「考えすぎ」が実を結んだ、かな。
 
 
 
 
 
相変わらず長文すぎますね。
もはやブログというよりエッセイ。
 
また忘れた頃に更新します。
 
 
 
 
 
昔キーパーソンだった相談員さんが教えてくれた、矢印の話。
 
 
 
「生きていたい」という矢印は、
太く長く「今」にある。
 
 
 
だから、何があっても私は大丈夫です。