日本語の「まつりごと(政)」は、

 

本来「まつり(祭)+こと(行い)」から来ています。

 

つまり、政(まつりごと)=「祭り」と「政治」は同根。

・祈り(まつり)によって天と通じ、

・その調和(こと)を地上に実現する。

 

これが本来の「政治」=神意を地に顕す行為だったのです。

 

しかし、時代が進むにつれ、“神事”と“行政”が分離していきます。

 

• 奈良・平安期:律令制度により祭祀と政治が制度化

• 鎌倉期:宗教と武力の分離(武家政権)

• 明治以降:「宗教」と「政治」の完全分離

・戦後:新興宗教と政治の癒着

 

結果として、政治は「人の利害調整」だけのものとなり、天意(宇宙・自然・調和)

 

とのつながりが断たれました。

 

今の社会の混乱は、この“まつりごと”の本質を失ったことに根源があります。

 

法を作る者が“まつる心”を失えば、国は魂を失う。

 

これから必要なのは、「祈りと調和を軸にした新しいまつりごと」。

 

つまり、

• 祈り(スピリット)

• 共生(コミュニティ)

• 循環(自然経済)

を柱にした“生命政治(バイオポリティクス)”への転換です。

 

ここで【マコモ】が象徴的な役割を果たすのです。

【マコモと神仏習合】

古神道では、マコモは**「神が宿る草」**とされていました。

 

縄文時代から水辺に自生し、湿地を清め、神聖な場を整える植物として扱われます。

 

つまり、マコモは「神を呼び、場を清め、生命を蘇らせる草」。

 

この自然観は、のちに仏教の法のはたらきと自然に融合していきます。

 

仏教が日本に伝わると、古神道の「草木・岩・水にも神が宿る」という考えと、

 

仏教の「一切衆生悉有仏性(すべての命に仏性がある)」が結びつきました。

 

この融合によって生まれたのが、日本独自の信

 

仰形態。

 

 

【神仏習合】

 

 

マコモもその中で、「神の草」から「仏の法をあらわす草」へと意識が広がっていきま

 

す。

 

特に法華経の「草木成仏」思想は、古神道の自然観と見事に調和しました。

 

したがってマコモは単なる植物ではなく、

 

古神道の「自然=神」と、仏教の「自然=仏」の両方を結ぶ架け橋なのです。

 

 

 

 

 

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62長島一裕   監督、佐藤勇、他60人

マコモは水辺に生え、汚れを吸い取って浄化する性質があります。
 

神道における「祓い」「清め」は、まさにこの自然の力の象徴です。
 

しめ縄を張ることでその場が清められ、
 

マコモの持つ祓いと蘇りの波動が場を守るとされてきました。

 

マコモを敷き、マコモ菌を散布した上で瞑想や祝詞奏上すると、

 

細胞のひとつひとつが活性化されてくるのを感じます。

 

まさにマコモは生命を蘇生させる霊草なのです。