頼家、頼家、頼家 | エメラルド

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前回の「鎌倉殿の13人」。

倒れた頼家を見つめながら、ずっと考えていた。

どうすれば頼家を助けられたのだろうかと。

 

やはり、私が泰時と一緒に修善寺に行って。

「逃げてください」と、全力で説得するか。

首に縄をつけて拉致してでも逃がすか。

または、私が女武者となって。

弓尽き刀折れるまで戦うか。

(トウに返り討ちに遭うのがオチ)

とにかく、頼家には逃げて生きてほしかった。

 

でも、ずっと考えてるうちに思った。

あそこで死ぬから頼家なのかなぁ。

もしも頼家が死なずに。

よくできた二代目鎌倉殿として君臨しても。

人々の心に残ることはなかったのかもしれない。

 

例えば、泰時なんてかなりよくできた執権殿になるわけだけど。

そして、決してすんなりとなれたわけじゃなくて。

もしかしたら、その名が伝わることはなかった可能性もあるのだけど。

ともかく、泰時は執権となる。

でも、人々の心にどのぐらい残っているかというと微妙なところ。

 

だから、頼家が悲劇の将軍として人々の心に残り。

物語になったりして語り継がれているのは。

あの修善寺で最期を迎えるからなのかなぁ。

 

そうね。

私も多分、頼朝の息子になんて興味なかったと思う。

生きて子孫繁栄源氏万歳とかやってたら。

これほどまでに心を乱すこともなかろう。

結局、判官びいき。

滅びゆく者に哀惜の念を抱きたいだけなのかも・・・

 

そう思えば。

巷間伝わるような惨い最期でなくてよかった。

駆けつけてくれた友もいて。

それでも、自ら踏みとどまる道を選んで。

華々しく戦って散っていったあの脚本は、正解なのかもしれない。

 

善児も、因果応報というか。

因縁の場所で因縁の人物に討たれる。

でも、人の心は取り戻していた。

それで、よかったのだと思う。

ふさわしい花道が用意されたのだなと。

 

頼家、今頃黄泉路で、せつさんや一幡くんに会えたのかな。

私は現世で、あなたの幸せを祈るよ。

さあ、明日の鎌倉殿はどんな展開が待つのかな。