
私はクールに隠してるつもりなんだが。
長男によると、バレバレなんだそうだ・・・
さて、池袋レポも書きたいところですが。
まずは、松島を最後まで書かねば!
というわけで、6月13日松島に行った思い出。
あわただしく松島の街を見て、残された時間もあとわずか。
もう一箇所、どうしても行きたいところがあった。
観瀾亭――
政宗殿が豊臣秀吉の茶室をもらって、さらにそれを松島まで持ってきたという建物。
前に来たときは家族一緒で、私だけあわただしく資料館を見てきて終わったんだけど。
実は、この由緒ある建物の中で、お茶やお菓子がいただけるのだ。
今回、どーしてもここで抹茶が飲みたくて。
お菓子は、チーズケーキとかいただきたいところだが。
今日は時間もないし、ずんだ餅にしよう。
チーズケーキは、もっと時間のある時に味わおう。
そんなこと思ってたら、次男が「俺、ずんだパンケーキ」
こいつはーっ!そんな高い・・・ボリュームあるもの注文して食べられるのか?
お茶が来るまでの間、歴史的建造物の中に座り、しばしゆるりと海を見る。
ちょっと気は焦るが、のんびり待とう。
やがて、受付の人がお茶とお菓子を持ってきてくれた。
丁寧にお辞儀されちゃったけど、どう対応していいかわかんなかったー。
次男に、「ここはお前の出番だろ」と言ったのだが。
「俺、この前袱紗の折り方習ったばかりだから」と。
まぁ、作法は抜きにして、美味しく味わえばいいかぁ。
そんなことしてたら、別のお客さんたちがやってきた。
年配のオジサンとオバサンの集団。
その中の1人が、声高に言っていた。
「写真撮影禁止なんて、日本人はおかしいよ。ルーヴルなんて、自由に撮っていいんだから」
「こういうことは、大きな声で聞こえるように言ってやるのがいいんだよ」
ムカッ

写真を撮っていけないという根拠を、私は明確には示せない。
ただ、瑞鳳殿の時もそうだったんだけど、伊達家所縁の場所で、こういう御託を並べるオヤジが許せなかったの。
「光で劣化するんだよ。価値が下がるんだよ・・・」
瑞鳳殿の階段と違って、自信持って言えないんだけどさ。
ところが、ここで次男が大声で。
「光で価値が下がるのも知らねーのかバカじゃねーの」
弱気になった私にかわって言ってくれました。
まぁ、オジサンオバサンたちは、ガキの戯言など気にせず行っちゃいましたけどね。
お茶は飲めたけど、楽しみにしてた資料館は入れなかった。
受付の人に聞いてみたら、地震の時ガラスがみんな割れちゃったんだって。
七月には再開したいらしいけど。
「ここは少し高いところにあるから、津波は大丈夫だったんですけどね・・・下の商店街は、みんなダメでした」
というようなことを言っていた。
思いがけずのんびりしてしまって、もうほんとに時間がない。
ダンナを迎えに行く時間に間に合わなくなっちゃう。
仕方がない。
ダンナには内緒で、高速使って帰ることにした。
次男は助手席で寝ちゃってる。
とにかく、標識どおりに走ってはいるけれど。
地図上のどんなとこを走っているのか全然わかっていなかった。
途中、広大な空き地が目に入った。
空き地・・・?
そこは、荒野だった。
真ん中にぽつんと、マンションみたいな建物が見えるけど。
道も何もなくて、ただ、瓦礫みたいのがあって。
海なんて全然見えないのに、突然強い潮の匂いを感じた。
海なんて全然見えないのに、突然強い潮の匂いを感じた。
幻臭かもしれないけど。
そこは、多分津波に飲み込まれた地区・・・
こんな形で目にするとは思わなかった。
この気持ちを、どうあらわしたらいいんだろう?
目にしただけの私がこんな気持ちになるんだから。
実際に体験した人たちはいかばかりだったことか。
言葉にできないけど。
自然の脅威への畏怖というか、怒りというか、いろんな感情が渦巻いた。
旅の終わりは複雑な気持ち。
震災の爪痕はまだまだ深い。
今さらもう、ボランティアとかできそうにない気がするけど。
でも、言い訳じみてるかもしれないけど。
こうやって、観光という形で幾ばくかの資金協力ができるなら、それが私のできることかな・・・なんて思った。
白石だって仙台だって。
岩手も福島も。
できるだけ、行けるところは行きたいなーって。
BOOWYのCDなどかけながら車を走らせた。