2010年2月10日
母から父が膵臓がんかもしれない、と言われた次の日。
私は父の病院へ行きました。
父は既に入院していて、病室に行くと病院のパジャマ?を着た
父が居ました。
前回会ったのが1月。その時となんら変わりない父。
痩せても居ないし顔色も悪くない。
ただ、繋がれた点滴と病院の服だけが違いました。
私が病院に着いてからしばらくして、医師から呼ばれ
診察室に入りました。
主治医は比較的若い男性でした。
電子カルテを開き、説明が始まりました。
まず血尿だと思った赤っぽい尿。
それは胆汁が上手く流れなかった事によるもの。
胆汁が流れる胆管部を何かが塞いでいる。
CTやMRIの結果、膵頭部に腫瘍があり
それが胆管部を塞いでいると思われる。
血液検査の結果、膵臓の数値が良くなく、腫瘍マーカーの結果
膵臓がんだと思われる。
腫瘍は大きな血管のすぐ傍にある為、手術が出来るか
他の医師と相談してみる。
父の病院に向かう電車の中でずっと
「父ががんな訳がない、何か他の病気に決まってる」と
念じ続けていたのに、その願いは見事に打ち砕かれました。
良くドラマなどでの告知シーンでは「助かるんですよね?!」と
詰め寄ったり、泣き叫んだりするのがありますが
実際の告知の場は淡々としたものでした。
私は主治医の話を聞いても「手術すれば何とかなる」
まだそう思っていました。
そして、病室に帰っても務めて明るく「手術すれば何とかなるよ」
「医学は進歩してるんだもん」などと
話していた…と思います。
実際この頃の記憶は少し曖昧です。
ショックが大きすぎて、思い出せないんです。
ただ、父を病室に残して帰る事が、とても悲しかったのは覚えています。
病院を後にして、母とお蕎麦屋さんに行きました。
「食欲無いよ」と言った私に母は「そんなんじゃ駄目だよ!
周りが元気でいないと乗り越えられないんだから!!」と
叱咤しました。でも、実際お蕎麦が運ばれてきても
2人でなかなか手を付けられずにいました。
ようやく食べ始めても、何の味もしませんでした。
ただただ、この現実が嘘である様に祈っていました。

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母から父が膵臓がんかもしれない、と言われた次の日。
私は父の病院へ行きました。
父は既に入院していて、病室に行くと病院のパジャマ?を着た
父が居ました。
前回会ったのが1月。その時となんら変わりない父。
痩せても居ないし顔色も悪くない。
ただ、繋がれた点滴と病院の服だけが違いました。
私が病院に着いてからしばらくして、医師から呼ばれ
診察室に入りました。
主治医は比較的若い男性でした。
電子カルテを開き、説明が始まりました。
まず血尿だと思った赤っぽい尿。
それは胆汁が上手く流れなかった事によるもの。
胆汁が流れる胆管部を何かが塞いでいる。
CTやMRIの結果、膵頭部に腫瘍があり
それが胆管部を塞いでいると思われる。
血液検査の結果、膵臓の数値が良くなく、腫瘍マーカーの結果
膵臓がんだと思われる。
腫瘍は大きな血管のすぐ傍にある為、手術が出来るか
他の医師と相談してみる。
父の病院に向かう電車の中でずっと
「父ががんな訳がない、何か他の病気に決まってる」と
念じ続けていたのに、その願いは見事に打ち砕かれました。
良くドラマなどでの告知シーンでは「助かるんですよね?!」と
詰め寄ったり、泣き叫んだりするのがありますが
実際の告知の場は淡々としたものでした。
私は主治医の話を聞いても「手術すれば何とかなる」
まだそう思っていました。
そして、病室に帰っても務めて明るく「手術すれば何とかなるよ」
「医学は進歩してるんだもん」などと
話していた…と思います。
実際この頃の記憶は少し曖昧です。
ショックが大きすぎて、思い出せないんです。
ただ、父を病室に残して帰る事が、とても悲しかったのは覚えています。
病院を後にして、母とお蕎麦屋さんに行きました。
「食欲無いよ」と言った私に母は「そんなんじゃ駄目だよ!
周りが元気でいないと乗り越えられないんだから!!」と
叱咤しました。でも、実際お蕎麦が運ばれてきても
2人でなかなか手を付けられずにいました。
ようやく食べ始めても、何の味もしませんでした。
ただただ、この現実が嘘である様に祈っていました。
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