#74の続きです。

ある日のことでした。
某TV局の躾番組を見ておりましたら、トレーナーと称する人が、やはり同じことを言うんですね。
日本人でしたけれども、「前足をかけさせてはいけない、犬が主人になりたがっている、
これを続けさせてはいけない。」そういうんですね。
もう笑い出すよりも、あきれてものが言えませんでした。

この一派の欠点は動物を知らない、ことなんですね。

犬と人。
それを機械的に理解します。そして、服従させるか、させないか、で物をくくっていくんですね。
まるで昔の軍隊ですね。
昔の帝国軍隊は、新兵がやってきますと上官は、服従をさせる、ということだけでひどい教育をしていくんです。
それと同じことを、犬にたいしてやっていくんです。
それですべてを説明しようとしています。

犬は違いますね。
犬は非常に豊かな感性を持っております。
ある見方をすればですね、人間よりも豊かかもしれませんね。
思いやりが深く、そして英知に満ちていて、人間と共同生活をしているんです。
なぜ、人間と犬がこれだけの共同生活をしているのかこれは大きな謎でして、
私の生涯はその謎に挑戦することでもありました。

いつだったかこんなことがありましたね。

私は、犬の心拍数について、その瞬間的な変化について、非常に大きな興味を持ちまして
心拍計をつけ、それを電波で飛ばしてコンピューターに入れて、記録をとっていました。

私に、心服した犬がいました。
これは、私が何をしても許してくれる・・つまり、私の犬だったんですね。
その犬に心拍計をとりつけまして、居間においておきました。
そこへ私が訪ねていきました。
僕はですね、犬はさぞ喜んで、心臓の鼓動は激しくなる、と思ったんですね。


びっくりしました。
全然変わりません。
でも、よく考えてみると、これは非常に偉大なことなんです。

私たち人間が家族で暮らしていますね。
両親がいて、子供5人がいたとしますね。
子供は父親が帰ってきても、それほど心臓をビクビクさせないんです。
普通に、日常生活を送っていくんです。
それで親しくないかというと、そうではありません。
非常に変化をしないことによって、愛情を密に交換しているんですね。

オオカミの場合を見てみましょう。
ドールという東南アジアのオオカミがいますね。
これは、犬に近いといわれていますけれども、私はそうではないと思っております。

でも、これを見に行きました。
そして、一つの試みをしてみました。
広いところで、ドールが何頭か飼われております。
その、こちらから見えるところに大きな餌を持って行きました。
そうしましたら、力関係で3位のドールが、その餌の匂いを嗅ぎつけました。
やってきました。
欲しそうにしました。でも絶対に食べないんですね。
そして、すごすごと去っていきました。
そこへ、アルファオスがやって来まして、悠然と食べました。
2位のオオカミが食べます。3位のオオカミがやっと食べるんです。
それだけの規律が彼らの中にあるんですね。
そういったハイエラシー(hierachy)を作るためには
彼らは非常に大きなストレスを耐えているんですね。

先ほどの、私の愛犬の話に戻りましょう。
心拍計をつけておきますね。
そこに、彼女よりも上位のオス犬を連れてきました。
近づくにつれ、彼女の心拍数は劇的に上昇しました。
普通、大型犬から中型犬は一分間に80回から90回ですね。

なんと、240回になるんですね。
上位の犬が、何かする仕草をしますと、ついに針が振り切れるくらいに上昇したのです。
つまりこれはですね、
そのハイエラシーという一つのピラミッド型の権力構造を維持するために、
彼らは大変なエネルギーを使っているのです。
それは悪いことではないのですね。彼らの生活なのです。

ところが、人と動物の場合には、そういうストレスが生じないのです。
これをまずもって考えなければいけませんね。
だから、人が上に立つ、犬よりも強くなければならない、
そういった風に考えるのは、
まず間違いなんです。

続きはまた明日としましょう。

 BYムツさん 畑 正憲