昨日のニュースで、今までスペインでは伝統文化とされて来た闘牛が文化の枠から外され大きな話題になっています。

我々外国人がスペインとはと質問され最初に思い浮かぶのが闘牛とフラメンコでした。

ただ私の住むカタルーニャ州はスペインで最初に闘牛が禁止された地域です。

多分2010年頃だと思いますがなんでも動物愛護の観点からという話でしたが本心はその裏にある政治的思惑からです。

この頃からカタルーニャ州は独立の気運が高まり、そのためにはスペイン人との文化の違いを強調したり、探したりする運動が起こり、『我々カタルーニャ人はスペイン人と違い動物愛護の観点からあんな野蛮な闘牛を文化とは認めない』という主張のもと禁止に踏み切りました。

この決定はスペイン全土で賛否両論が起きましたがカタルーニャに住む闘牛ファンは少数派の為沈黙しました。

元々闘牛はフラメンコと同じように南スペインから中央スペインまでにファンが多く毎週日曜に開催される闘牛のうち一番有名なマドリードの闘牛場および有名闘牛士の出場する地方での闘牛などは毎回国営放送で実況中継されるのが常ですがここカタルーニャではいつの間にか無くなっていました。

ではここでなぜ私がカタルーニャに於ける闘牛禁止令は政治的思惑だと思ったのかはスペイン人との人種的な嗜好の違いを強調するためであると思うエビデンスが存在するからです。

この闘牛文化が南、および中央部から北のカタルーニャ州に広がりそこを超えて南フランスにまで広がり今でも南フランスでは規模は小さくなりますが闘牛が行われます。

ちょうど日本の地方で開催される草競馬の様な感じです。

ということはこのカタルーニャ州にも闘牛文化は定着しており、闘牛場での闘牛は開催されませんが村祭りには闘牛よりも小振の牛のツノに松明をくくりつけその牛を街中に放ってその前後を人間が走り回ります。

この行事が闘牛が禁止になった今でも行われているということがあの時の禁止令は政治的判断だということが証明されます。

身動き出来ない状態の牛のツノに火の付いた松明を括り付けること自体完全な虐待になりますが其れが禁止されないと言うことは其れが好きな人々が沢山存在することの現れだと思われます。

そんな事で闘牛は文化ではなくなり闘牛関係の基金を廃止したと文科大臣が発表していましたがその基金が今まで何に使われていたのか私は知りません。

ただここ以外の地方では夏の間は毎週日曜日、特別な祭日、パンプロナの牛追い祭などいつも通り行われ、闘牛ファン、観光客にとっては文化であろうがなかろうがあまり関係はないみたいです。

また闘牛は広大な牧場での牛の飼育から始まり産業自体も非常に大きいので経済に与える影響も大きく簡単には無くならないものと思われます。

またスペインのマラガ出身のピカソも父親の影響で子供の時から闘牛が大好きで何枚も闘牛の絵を書いていますがその中でも代表作の一つのゲルニカが有名です。

市民戦争時にドイツ軍の爆撃で苦しむゲルニカの市民の心情をあの闘牛士に殺される牛の姿で表現したと言われています。

ただ私的には若かりし頃闘牛とフラメンコを文化に持つ情熱の国に来たのですがそのうちの一つがなくなり少し寂しい気持ちもします。

その昔、イギリスで貴族たちの間で行われていた狐狩りがなくなりましたがそのうち同じ運命を迎えることになると思われます。

人喰い、首狩文化?が無くなったように人間が生きていく上で段々とその存在意義がなくなりつつあるのだと思われます。

このように前進、停滞、後退などを繰り返しながら価値観が変化していくのが人間文化の営みだと思われます。