「生前譲位」を拙速に決めてはならない ~明治政府はなぜ生前譲位を否定したか~ | 武藤貴也オフィシャルブログ「私には、守りたい日本がある。」Powered by Ameba

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国家主権、国家の尊厳と誇りを取り戻す挑戦!品格と優しさ、初志貫徹の気概を持って(滋賀四区衆議院議員武藤貴也のブログ)

 昨年8月8日天皇陛下が、ご高齢による体力の衰えを理由に、「生前譲位」を示唆された。このことの国民的衝撃は大きく、政府は即座に有識者会議を設置し、これまで専門家からヒアリングを行ってきた。

 この有識者会議は先日、一代限りの譲位を認める特例法を定めるのが望ましいとする方向で論点整理を行い、自民党もこれに習い、今月13日「現在の陛下一代に限って退位を認める特別立法での対応が望ましい」との党見解をまとめた。

 おそらく今後この方向での法案が国会に提出され議論が行われることが予想される現在、この問題は国体にかかわる重要な事柄であるので、私も立法府の一員として意見を開示し、報じられているような「一代限りの退位を認める特別立法」で本当に良いのか、議論を喚起したい。

 

 

明治になぜ「生前譲位」が否定されたのか

 現在の皇室典範では「生前譲位」が否定されている。まず、なぜそうなったのかというところから話を進めたい。

 日本の歴史を見ると646年の「大化の改新」に際して、35代皇極天皇が36代孝徳天皇に皇位を譲られたのが始まりとされ、天皇在世中に皇位を譲る「譲位」は平安以降、常態となった。

 しかしその後、「譲位」が権力者の恣意によってなされるようになり、「院政」や「摂関政治」のような変則的な政体を生み出し、更には皇位継承をめぐり流血を伴う激しい争いが起こるようになった。

 これに関してはこれまで、天皇は「譲位」して「太上天皇(上皇)」となったとしても威厳や格式、品格が伴うため、どうしても皇室が二派に分かれ、勢力争いが起きやすくなることが原因だったとの分析がなされている。これは、国民的人気の高い今上天皇の御存在があるので、現代でも容易に想像できよう。「天皇」と「上皇」の存在は、「権威の二分化」を招く可能性があるのだ。

 そこで、明治維新を迎えた明治22年、時の政府は皇位継承のルールを成文化する際、混乱をもたらしてきた「生前譲位」を否定し、皇位継承原因を「天皇崩御」に限ると皇室典範で定めた。これは、混乱なく安定的に皇統を維持していく為に、歴史的教訓から考え出された結果であった。

 

 

天皇陛下のご存在意義は「万世一系という命の永続性」そのものである

 今の天皇陛下は、国民統合の象徴としての責務を、憲法に規定される国事行為だけでなく、各地で能動的に国民に触れることなども含めてお考えになっておられると拝察する。陛下のこのご努力は国民にとって誠にありがたいかぎりではあるが、しかしこれはあくまでも今の陛下の解釈ではないかという指摘が多くの有識者によってなされている。

 この点について、大原康男氏は「そもそも論になりますが、公務を執り行うことができなくなった天皇は、地位を退かなければならないのでしょうか。私はそうではないと考えます」と述べているし、平川祐弘氏も「特に問題であるのは、そのご自分で拡大解釈された責務を年を取ると果たせなくなるといけないから元気なうちに退位して皇位を次に引き継ぎたいというお考えをテレビで述べられたことである。それというのは代々続く天皇には優れた方もそうでない方も出られよう。体の強くない方が皇位につかれることもあろう」と述べている。

 つまり、天皇陛下が天皇陛下である所以は、その「能力」に求められるのではなく、第一にはあくまでも「万世一系という命の永続性」そのもの、「ご存在の継続」そのものなのである。そしてその次に「祭祀」、「国事行為」などがある。

 従って、多くの保守派識者が言うように、陛下の皇位継承に関して「能力主義」を持ち込むべきではないと私も考える。

 

 

「憲法違反」のおそれ

 また、天皇陛下のお言葉を受けた皇室典範の改正は、憲法に違反するという指摘もある。天皇陛下が8月8日の「おことば」の冒頭で「天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら」と断っておられたのは、そのためである。

 大石眞氏は「天皇の意向だからという理由で一気にその方向に動いてはならない。天皇は政治的権能を持たない象徴の立場にあるからだ。天皇陛下が退位の意向を示されたからといってすぐさま制度を変えれば、陛下が法律の変更を要請されたようにとらえられる。国政に影響を与えたようにみえることは避けるべきだ」とし、早急な制度変更に関して憲法上の問題点を指摘している。

 加えて、現在政府与党でまとめられようとしている「一代限りの特例法による生前譲位」自体についても違憲の疑いが指摘されている。既述の大石氏は「皇位継承は、憲法に、国会の議決した皇室典範で定めると規定されており、特例法による対応では憲法の趣旨に合致しない恐れがある」と述べているし、平川氏も「もし世間の同情に乗じ、特例法で対応すれば憲法違反に近いのではないか。極めて良くない先例になり得る。陛下の「お言葉」だからといって、超法規的に近い措置を取ることはいかがなものか」との指摘をしている。

 日本国憲法第2条では「皇室は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と規定している。つまり、現在の憲法では、特例法では無く、皇室典範によって皇位継承を決定することが定められているのである。

 「憲法改正」をするならいざ知らず、現段階で早急に法改正や特例法制定に踏み切れば、やはり憲法上の問題が生じる可能性は否定できない。

 

 

「摂政設置」で対応できる

 これまで見てきた歴史的経緯や憲法上の議論などを踏まえると、「生前譲位」は認められるべきではないと私は考える。

 皇室典範はその16条の2項で「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く」と規定している。

 将来に渡って御皇室の安定的な維持を考えると、まずはこの規定に従い「摂政設置」での対応を考えるべきである。

 しかしお身体の重患もなく、重大な事故もないが、高齢による体力の衰えによりどうしても御公務が行えないという状況であるならば、皇室典範を変え、「摂政設置」の条件に「高齢」を加えれば「譲位」をなされなくても十分対応できる。

 また逆に言えば、高齢化による体力的な課題は「摂政設置」で対応できるため、16条での対応を否定する理由にならない。

 確かに、「高齢条件」を加えると、今度は「高齢」の程度をめぐる解釈が問題となるとする意見もあるが、その議論は一般に言う定年年齢や成年年齢の議論と同様だろう。一般的に高齢とみなされる場合に、天皇のご意思の確認、皇室会議の議、そして内閣の助言と承認がある場合に、摂政を置くように法改正すれば客観性を持つと考えられる。

 

 

特例法での対応は決して最善の策ではない

 報道によると、有識者会議も政府与党も、「今の天皇一代限りに退位を認める特例立法」が望ましいと考えているようだ。

 この理由について、論点整理を行なった有識者会議の御厨貴座長は「時代時代で国民の意識や社会情勢は変わり得る。将来に渡って適用する退位を定めることは困難であり、返って混乱を招く」という意見が相次いだと言っている。

 しかし、この有識者会議が行った専門家からのヒアリングでは、ご皇室を生涯にわたって専門としてきた学識者や憲法学者の多くが特例法での対応に反対の意見を示した(ちなみに提言を行う有識者会議のメンバー自体には、ご皇室の専門家は1人もいない)。なぜならば、繰り返しになるが、「特例法による生前譲位」は「象徴の二元化」「権威の二分化」を招く恐れがあるだけではなく、憲法違反のおそれがあり、そして何より天皇の恣意的な譲位を認める前例を作ってしまうことになるからだ。

 高齢を理由とした執務不可能という事態はこれまでも起こりえたし、今後も十分に起こりうる。従って、天皇の意志に基づき譲位を認める前例を今また作れば、将来様々な理由で譲位する事態が起こるかもしれない。それこそ政治的混乱を招くのではなかろうか。

 御厨氏は「時代時代で国民の意識や社会情勢に合わせて変わりうるから、一代限りの特例法で」と言うが、連綿と続いてきた天皇の地位にかかわる事柄を、時代時代で揺れ動く国民の意識に従って変えるべきではないと考えるからこそ、一代限りの譲位を認める特例法で対応すべきではないと考えるのは私だけではあるまい。

 伝統とは生者と死者からなるデモクラシーである。現代に生きる者の民意のみで決定すべきではない。欧米的現代的思想からすれば、天皇陛下の人権などの観点から、皇室制度や国体までもを破壊する論争まで突き進んでしまいかねない。安定的な皇統の継続を確保し国体をまもる為にこそ、我々は一時の「情」による拙速な判断は避け、明治政府が判断したように、冷静に歴史的教訓から最も良い選択をすべきだと思う。