権利と義務は表裏一体 〜選挙権年齢18歳への引き下げについて〜 | 武藤貴也オフィシャルブログ「私には、守りたい日本がある。」Powered by Ameba

武藤貴也オフィシャルブログ「私には、守りたい日本がある。」Powered by Ameba

国家主権、国家の尊厳と誇りを取り戻す挑戦!品格と優しさ、初志貫徹の気概を持って(滋賀四区衆議院議員武藤貴也のブログ)

 昨日、国会対策委員会で「選挙権年齢の引き下げ」について報告があった。いよいよ選挙権年齢を18歳に引き下げるための公職選挙法改正案が今国会に提出される見通しだ。担当者からは世界的にも成人年齢が18歳に引き下げられている状況に鑑み、日本でも選挙権年齢等を18歳まで引き下げて、来年の参議院選挙では18歳以上の多くの人に選挙に参加してもらうべく法整備を急ぎたい旨報告があった。

 確かに子どもの権利を拡大しようという世界的な潮流の中で、日本も選挙権を引き下げようとする意見が多く出されるようになってきた時代背景は分かる。また少子高齢化時代にあって、若者の政治参加の幅を広げ、将来の日本を創る自覚を持ってもらおうとする意見も理解できる。しかし本当に今のまま選挙権年齢を引き下げて良いのか、疑問が残る。それは権利の話だけが先行し、義務と責任の議論がなおざりにされているからだ。

 先月、神奈川県川崎市で中学1年生の上村遼太君(13)が殺害されるという本当に痛ましい事件があった。上村君を裸にし、冬の冷たい多摩川を泳がせて、その後カッターナイフで首や体中を切りつけて殺した犯人の主犯格は、18歳の少年だった。報道各社は犯人が18歳という未成年であることから、少年法の趣旨を尊重し、実名を伏せ、もちろん顔写真など本人が特定されるような情報は全く報じかった。

 選挙権年齢だけが18歳へ引き下げられる一方で、少年法は18歳を未成年の少年として保護する仕組みになっている。加えて、成人年齢、飲酒年齢、タバコの喫煙年齢、年金加入年齢などは全く議論されていない。つまり、選挙権という権利だけが拡大される一方で、義務や責任を求めるような議論はなおざりにされている。これで本当に良いのだろうか。

 確かに、大人と子どもの境目の議論は難しい。子どもの成長には著しく個人差があると言えるだけでなく、そもそも成人していても知識や教養が大人としては不十分だということもあり得るからだ。従って、成人年齢や選挙権年齢などを何歳に定めるかは、決め手となる根拠の無い難しい問題だ。

 しかし確実に言えることは、権利の拡大は義務や責任の拡大と表裏一体でなければならないということである。それは子どもに責任感と社会常識を身に着けさせ健全に成長させるためだけでなく、社会全体の秩序を維持するために必要不可欠である。少年法などで保護される少年が、一方で選挙権等の権利だけを得ることについて、私は決して良いことだとは思わない。

 選挙権年齢を18歳に引き下げるのであれば、まさに日本の未来を決める政治に参画する責任を負うのであるから、同時に大人としての義務や責任を課す議論もすべきだと私は思う。