この前の記事で「ココロのコップ」という記事を書きました☆


生きていればたくさん受けるであろうたくさんの事象を---たとえそれが汚くても、---コップいっぱいにため、溢れ出さる事が表現者として大切なのだと思います。
そして、そのコップにどんな汚い水を入れても、浄化できる『魔法のコップ』にする事が日々の生活だったり、感性だったり、今までの経験に基づいた考え方だったりすると思うのです。


ということを書きました。
今回は私、ムトウなりの「魔法のコップ」について書きたいと思います。

前向きな人間か、後ろ向きの人間か。
正直に言えば僕は後ろ向きの人間です。
嫌な事があれば、必要以上に凹みますし、気が小さい所があらわれるのもしばしば。

褒められたものかどうかはわかりませんが・・・
ぼくには『切り替えの早さ』だけはあるのです。

嫌な事があっても、長くても数分で切り替えられます。
そんな切り替えの時に思い出す言葉があります。
『人間というものは、不幸のほうだけを並べたてて、幸福のほうは数えようとしないものなんだ。ちゃんと数えてみさえすれば、だれにだって幸福が授かっていることが、すぐわかるはずなのにね。』
これはロシアの小説家・思想家であるドストエフスキーの『地下室の手記』という小説の一節です。


今、自分はついていない、恵まれていない、不幸だ、と思うことはままあります。
しかし、自分が幸せな時にそれを噛み締める事が少ないのもあると思うのです。

ココロのコップに汚い水が入ってきた時に、それは元々、綺麗な水だったかもしれません。
その綺麗な水が何かの原因で汚くなってしまった…
そう考えると、その原因を取り除く事で水が綺麗になると思うのです。
ただ、無理に綺麗にしようということではなく、泣いてみてもいいと思いますし、恨み言、辛みを言っても良いと思います。その部分で終わるということではなく、そこから、お水を綺麗にできるようにする事が大切だと思うのです。

汚ない水が入ってきた事を悲観するよりも、その水を如何に浄水できるか、その方法を考える事は魔法のコップを更に大きく、さらに水を綺麗する機能を強化する事だと私は思います。

また、自分自身でだけでなく、ココロのコップに更に綺麗な水を加える事によって、全体のお水を綺麗することもあると思います。

それは、色々な芸術作品に触れてみたり、映画を見たり、本を読んだり、音楽を聞いてみたり、他人に相談してみたり…
ココロのコップを魔法のコップにするためには様々な方法があると思います。
どれが良いかは人それぞれだと思いますが、
汚れた水が入ってきた事を悲観するよりも、それをきれいにする事を目指すことが素晴らしい事だと私は思うのです。