せんせいが私達につねにお教えくださったことれんかつごうしんじんしょうだいであります。
 このしんじんしょうこそほんぞんさまどくいただくただ一つの方法、末法まっぽう三毒さんどく強盛ごうじょうの荒凡夫が仏にならせていただく唯一の修行であります。
 これがいかに有難ありがたことか。せんせいは度々日寛にっかん上人しょうにん

これいえさいじんれんどういちだいなり」

とのなんを引いてどうくださいました。
 「これ」とはしんじんしょうこと。このしんじんしょうこそ日蓮にちれんだいしょうにんの下種仏法のゆえのさいじんもっとも深い秘法)、日蓮にちれんだいしょうにんどういちだいである。
 そして日寛にっかん上人しょうにんは、私達が唱えたてまつほんもんの題目とほんぞん日蓮にちれんだいしょうにんとの関係について

う、われとなたてまつところほんもんだいもくたいなにものぞや。
 いわく、ほんもんだいほんぞんれなり。
 ほんもんだいほんそんたいなにものぞや。
 いわく、れんだいしょうにんれなり」

「すなわち、ほんもんの題目のたいほんもん戒壇かいだんだいほんぞんであり、さらに、ほんもん戒壇かいだんだいほんぞんは実に日蓮にちれんだいしょうにんであられる」とおおせられる。

 このなんについてせんせいはかくどうくださいました。

 「これは大変なおおせである。まことに重大ななんである。
 まさに、そうじょうもとづく重大ほうもん私は拝している」と。

 あるいは

さんだいほうごく肝要かんようの中の肝要かんようほうもんである」と。

 日蓮にちれんだいしょうにんの仏法のを「南無なむみょうほうれんきょう」と申し上げる。
 このを『おしたわしい』『有難ありがたい』とのれんかつごうしんじんで唱えたてまつればかならたいいたとくり」で直ちにたいである戒壇かいだんだいほんぞん日蓮にちれんだいしょうにんに通じて我等凡夫がだいほんぞん日蓮にちれんだいしょうにんと一体となり、仏にならせていただけるのであります。
 最大じんの大法たるさんだいほうもっとも根源で深いものであります。
 しかし、そのしんぎょうは至ってシンプル、それがれんかつごうしんじんしょうなのであります。
 難しいことは何も分からずとも、母親の母乳に赤ん坊を育てる要素がすべて含まれ、子供はただそれを飲めばよいのと同じです。
 ゆえにせんせい多摩たま会館かいかんにゅうぶつしきにおいて勤行ごんぎょうについてかくおおくださいました。

 「私は勤行ごんぎょうが一番楽しい。勤行ごんぎょうの時は難しいほうもんことすべて忘れる。
 そして、赤ん坊が母親の乳房にすがって無心におっぱいを飲むように、ただ『有難ありがたい』『おしたわしい』とのおもいだけで南無なむみょうほうれんきょうと唱えたてまつる。
 だいしょうにんさまは『おん義口ぎくでん』に『南無なむみょうほうれんきょうは歓喜の中の大歓喜なり』とおおくだされている」と。

 されば、この記念の数珠を手に苦楽共におもい合わせて、せんせいがお教えくださった成仏じょうぶつの直道たるれんかつごうしんじんしょうに励み、一生いっしょう成仏じょうぶつ広宣こうせん流布るふに向けてほうこうつらぬいてまいろうではありませんか。


令和7年 10月16日 浅井昭衞先生三回忌法要 浅井会長御挨拶