へんすで法華ほけきょうぎょうじゃさせたまへることさるひともちゐつきたるがごとし」

 「うえ殿どのはすでに法華ほけきょうぎょうじゃに似ている」

 「法華ほけきょうぎょうじゃ」というのはしゅ法華ほけきょうぎょうじゃ。すなわち、日蓮にちれんだいしょうにん御事おんこと、仏様であります。

 「この本仏ほんぶつに似ている事、あたかも、猿が人にて、丸いお供えのもちが月にたようなものである。よく法華ほけきょうぎょうじゃに似ている」

 「だいしょうにんさまの御心のままの奉公ほうこうをしてる」という事であります。

 「あつはら熱原ものどものかくしませたまへることは、しょうへい将門まさかどてん貞当さだとうやうくにものどもはおもひてそうろうぞ」

というのは

「このとうたちにありながらの、ばくから任官にんかんされているたちに関わらず、敢然として熱原あつわらの方々をかくまって守った」
「それはあたかも、駿するの国の者達はみんなたいらの将門まさかど貞任さだとうのように思っている」

将門まさかど貞任さだとうというのは日本国に名高い、誰も知らない者はない、いわゆる有名な武将で力ある英雄えいゆうであります)
 ところが、中央政府に反抗はんこうしたんですね。
 そして、いまだにそのものがたりとして「将門まさかど貞任さだとう」とうたわれているわけでありまするが、このように、中央政府に反抗はんこうしている英雄えいゆう。そういうような者に駿するの人達は思っているけれどもそうではない。

「これひとへ法華ほけきょういのちつるがゆへなり。まつた主君しゅくんそむひととはてんらんあらじ」と。

 「何もばく反抗はんこうしているんではない。ひとえに、うえ殿どの御振おふまいいというのは、法華ほけきょうに命を捨てるというこうなのであって、まった主君しゅくんそむくなどというような事はげんちがう事である。
 かなら諸天しょてんもその事はしっかりと見ているにちがいない」

こうおおせられる。

 「うえ、わづかのしょうごうをほくの公事くじてられて、るべきうまなし、さいはひきかくべききぬなし」

うえごうというのは小さいりょうしかない。その上がりも少ない小さなりょうとうに関わらず、不当にも、多くの税金ぜいきんを課せられて、とうでありながら、自分自身が乗る馬もない。そして(うえ殿どのは非常に子供が多かったんですね。8人とか9人とかいわれておりますけれども)それらの小さい子供、そして、妻。このさい眷属けんぞくは着るべきものもないほどきゅうぼうしておった」

 かかる身であっても

「かかるなれども、法華ほけきょうぎょうじゃさんちゅうゆきめられ、しょくともしかるらんとおもひやらせたまいて」

だいしょうにんさま御事おんことを『どのようななんであられるのか』『あのような雪深いのぶの山でもってどのようなお暮らしをしておられるか』という事を思っては、つねようを絶やさなかった」

というんです。

 「ぜに一貫いっかんをくらせたまへる」

 この時にもようを申し上げた。
 この姿・お心はちょうど

貧女ひんにょおとこにんしてひとつのきぬたりしを乞食こつじきあたへ」

というのは、きょうもんに出てくるものがたりでありまするが

まずしい女人にょにんが、夫と共に一つのものしかない。それを2人でもってきょうゆうして次々に着ておった。
 そのきぬを、仏道ぶつどうしゅぎょうをしている乞食こつじきの者にあたえた」
「あるいは利陀りだというまずしいりょうが、きんの時にしゃくぶつという(しょうもんしゃくぶつと申しますから、くらいの低いぶつ弟子でしであります)そのような人たちがしゅぎょうをしていてえているのを見て『自分のおわんの中にはわずかなひえしかはいっていない。これをやってしまえば自分の物はなくなっちゃう』しかし、えたしゃくぶつを見て『この人にあげよう』というんであたえた」
「それと同じような心でもって今、さんちゅうだいしょうにんさまようしまいらせる。その命をぎまいらせているんだ」

という事でたうとたうとし」おおせになっておられる。
 まことに

うえ殿どの信心しんじんは、このようにじゅうこうで、水のごとき信心しんじんで、つねだいしょうにんさまに命かけての奉公ほうこうつらぬかれておられた」

という方であります。