そして、同時にこれは重大なるお説法なんですね。
数百人の兵士達がみんな見ている前もって、鎌倉中の武士が尊敬している八幡宮の前でもって、大聖人様は諸天善神をお叱りになった。
という事は、やがて御自身がいかなる御境界であられるか。すなわち、御本仏であられる事を前もってお示しになる。これがその序文のお説法になっているんです。
でこれを見て思います事は、大聖人様が強くお責めになったのは「諸天善神は末法に下種の御本仏が出現したならば命かけて守り奉る」という誓約を釈尊に対してしているではないか。
その二千二百有余年前に約束した事を重しとして「なぜその約束を果たさないのか」とそれを責めておられるんですね。
これを見てごらんなさい、凡夫じゃ二千二百有余年前の約束なんて実感が出てこないでしょう。
これが、凡夫と仏様の物差しの違いなんです。
凡夫というのはすぐに忘れてしまう。ことに都合の悪い事は(笑)。自分が金を貸した事はいつまでも覚えているけれども人に金を借りた事はすぐに忘れてしまう(笑)。
このように、凡夫は善につけ悪につけ物差しが非常に短い。これは智恵の深い浅いによるんでしょうね。
智恵の深い人ほど深く長い時間から物事を考えてそこの因果関係を見つめていく。
ですから、今は科学の世界でもそうですがね、宇宙物理学だとか地質学だとか気の遠くなるような年月でもって物事を色々と見ていくでしょう。
ですから、大宇宙が膨張し続けている中でその最果ての星から来る光は150億年昔に発した光が今到達している。これを聞いても実感がわきませんけれども、そういうべらぼうな時間とか空間とかでもって宇宙物理学を論ずる。
地質学の地震観測なんかもそうですよね。とてつもない時間でもって論じる。
で、小柴昌利さんがノーベル賞をもらったでしょう。
あの人が言っておりましたが「我々の住んでいる地球というのは銀河系宇宙に属しているけれども、この銀河系宇宙の隣にマゼラン星雲というのがあるが、その中の超新星が爆発を起こして、その時にニュートリノという物質が出て、17万年前に爆発を起こしたニュートリノがたまたま長い旅をして1982年2月にカミオカンデにぱっといくつか入ってきた。それをつかまえたので幸いな事に自分はノーベル賞を受賞できた」という。
ですから、17万年旅をしたニュートリノをつかんだ事は幸運だと言っておりましたが、これも気の長い話なんですよね。
そこで、そういう事から見ると仏様の知見というのはもっと大変なものなんでしょう。
17万年前とか、150億年前とか凡夫の目から見れば大きいように思えますけれども、三千塵点劫・五百塵点劫というのはとてつもない数である。
仏法はそれを論ずるわけですから、二千二百有余年なんていうのはほんのわずかな時間ですよ。
で大聖人様が仰せになっておられる。
法華経の神力品において「十神力」という「光を放つ」とか「大地六種に震動」とかそういうような大瑞を示された。
この神力品の瑞相を大聖人様が仰せあそばすには「二千年以後に三大秘法が広宣流布する瑞相を釈尊が示したのである」と。
ある人が問うて曰く。「二千年前の瑞相を言うのはおかしいではないか。一時・二時、あるいは一日・二日、あるいは十年・二十年という年月でもって瑞相があったのならばわかるけど、二千年前はおかしいじゃないか」と。
ここで、大聖人様が仰せあそばすんです。
「周の昭王の夢は1015年でもって合ったではないか。訖利季王の夢は2万2千年を経て合ったではないか。どうして2千年前の瑞相を疑う事があろうか」という事を仰せになっておられるんですね。
また大聖人様は別の御書に
「諸天というのは人間と違って寿命が非常に長い。これは、いろんな天体が地球なんかと違って自転の速度が違うためです。
四大天王というのは何十年か分が一日に当たるのである。だから、二千余年などというのは44日間しか当たらない。釈尊滅後わずか44日間でもって忘れる諸天があろうか。
ゆえに、諸天は二千余年前の約束でも昨日のごとくに覚えているんだ」という事を仰せになっておられる。
これが実感をもって分かってきますると、700年前に大聖人様の御頸を刎ね奉るという血の凍るような大逆罪を凡夫は全部忘れてしまっている、日本人は全部忘れてしまっているんですが、諸天は忘れずにじっと見ております。
そして「まだ広宣流布しない」という事で必ず時来らば日本人が大聖人様の絶大威徳に目覚めるような大罰をもって「この国に下種の御本仏まします」「大聖人様によって日本国の有無はある」「その重き重き御存在の御本仏がましました」という事を諸天の働きによって必ず分かる時がまいります。
凡夫と諸天では物事を計る時間が違う。これが分かってくれば仏法が分かってきたという事なのであります。

