そのしゅすべきをいくつかここでもって条件をげておられるでしょう。
 まず第一に「今眼前にましますだいしょうにんさまほん第一のきょうの行者である。すなわち、しゅきょうたるみょうほうれんきょうの行者である」おおせられる。
 ということは、はちまんだいさつを始めとしてしょてんぜんじんはなぜほとけさまを守るかというと、みょうほうれんきょうの大法をしょてんぜんじんもことごとくしんじて自らも仏になるために恩徳を感ずるわけなんです。
 今眼前にほん第一のさんだいほうたもほとけさまがここにましますんです。ほん第一のしゅきょうの行者がまします。
 しかも、だいしょうにんさまは御身において世間のあやまりはいちぶんも犯したことはない。
 ただほんこくいっさいしゅじょうさんだいほうを誹謗してげんごくつることびんおもうからそれを助けるために強く申しているほうもんではないか。
 また、もしだいもうこくがこのほんこくを責めてくるならば、てんしょうだいじんはちまんだいさつといえども安穏におわすことができるであろうか。
 だから「なぜしゅしないのか」おおせられる。
 さらに、もっと大きな理由は仏前のちかいを果たさぬことを責めておられるんですね。
 そのちかいというのは、しょてんぜんじんが釈迦仏がきょうを三千年前に説いた時にきょうにおいてまっぽうしゅほんぶつが出現せられたならば必ずお守りいたします」ということちかっているんですよ。そのことをここでお責めになるんですね。
 いいですか、しゃぶつきょうたまいし時、ほうぶつじゅっぽうしょぶつさつあつまったそのキラキラした立派な様は太陽と太陽、月と月、星と星、鏡と鏡を並べたごとくにあつまっている。
 ぶっぽうが流れてくるインド・ちゅうごくほん等のぶっぽうえんの国々は前もってこくを守るぜんじんが出現する。これらのぜんじんきょうに集まっておった。
 そのようなきらびやかな前でもって、無量のしょてん並びにインド・ちゅうごくほんというぶっぽうえんの国のぜんじんおのおのきょうぎょうじゃをろなるまじきよしせいじょうまいらせよ」まっぽうに必ずしゅほんぶつが出現する。その時にこのほんぶつに対しておろそかにしてはいけない。必ず守らなければいけない。なんじはそのせいじょうをまいらせよ。今ここにおいてちかいの状を立てよ」とのしゃくそんおおせのごとく一々にせいじょうを立てたではないか。
 「たとえ身が破れることがあろうともまっぽうほんぶつを必ずしゅたてまつる」ということちかいの状をしゃくそんに出した。
 そうであるならば、今だいしょうにんさまことあらためてうまでもない。急ぎ急ぎそのちかいを今こそ成し遂げよ」ということでもって実行に移すことおおせられた。
 「それなのに、なぜこのだいを見てこの所にさんじないのか」ということつよづよと、はっきりとおおせられた。
 そして最後にだいしょうにんさまは一段と声を上げられておおせられた。

 「にちれんこんくびられてりょうぜんじょうにまいりてあらんときは、てんしょうだいじんしょうはちまんこそしょうもちいぬかみにてそうらいけれとさしりてきょうしゅしゃくそんもうそうらわんずるぞ。いたしとおぼさばいそいそおんはからいあるべし」

 「もし今夜くびを切られてしゃくそんの所へ行った時には、まず『てんしょうだいじんはちまんだいさつは自らのちかいを破った神であった』ということをはっきりとそのことい切る。そのことが痛いとおもったならば急ぎ急ぎしゅくわえよ」

 このことおおせられてまた馬にお乗りになった。
 どうですか、これはしょてんぜんじんに対して「どうか守っていただきたい」という嘆願たんがんじゃないでしょう。嘆願たんがんじゃ強すぎて相手は怒ってしまう。
 これは嘆願たんがんことではない。まさしく、しゅほんぶつとしてしゅすべきを持つしょてんぜんじん全体に対してそのたいまんを強くおしかりになっておられるんですね。
 「急ぎ急ぎしゅくわえよ」と御命令あそばしておられるわけであります。ほんぶつでなくしてどうしてこのことえましょうか。