「さてはじゅうにちさしのこう殿どのあづかりにて、はんおよくびらんがためにかまくらでしに、わかみやこうにうちいでて、ほうつわもののうちつゝみてありしかども、にちれんいわく『おのおのさわがせたまうな。べちことはなし。はちまんだいさつさいもうすべきことあり』とて、うまよりさしりてこうしょうもうやう
 『いかにはちまんだいさつはまことのかみか。ないいまにちれんほんだいいちきょうぎょうじゃなり。うえいちぶんあやまちなし。ほんこくいっさいしゅじょうきょうぼうじてげんだいじょうつべきをたすけんがためにもうほうもんなり。また、だいもうこくよりこのくにむるならば、てんしょうだいじんしょうはちまんとてもあんのんにおわすべきか。うえしゃぶつきょうたまいしかば、ほうぶつじゅっぽうしょぶつさつあつまりて、と、つきつきと、ほしほしと、かがみかがみとをならべたるがごとくなりしときりょうしょてんならびにてんじくかんほんこくとうぜんじんしょうにんあつまりたりしときおのおのきょうぎょうじゃをろなるまじきよしせいじょうまいらせよとめられしかば、いちいちせいじょうを立てられしぞかし。さるにては、にちれんもうすまでもなし。いそいそぎこそせいじょう宿しゅくがんげさせたまうべきに、いかにところにはわせたまわぬぞ』とたかだかもうす。
 さてさいには『にちれんこんくびられてりょうぜんじょうにまいりてあらんときは、てんしょうだいじんしょうはちまんこそしょうもちいぬかみにてそうらいけれとさしりてきょうしゅしゃくそんもうそうらわんずるぞ。いたしとおぼさばいそいそおんはからいあるべし』とてまたうまりぬ」

 はちまんだいさつたいまんをお叱りあそばすところですね。
 だいしょうにんさまでなければこういうおことおおせられるわけがないんです。ほとけさまでなければえないことです。
 しょてんぜんじんの中にはちまんだいさつを代表としてここにお叱りになったわけであります。
 さて、今まで拝読しただいしょうにんさまたいの時刻でありまするが、これが9月12日の夕方の5時ごろですね。
 まだ日中の日のある時にだいしょうにんさまって、馬に乗せてかまくらの小路をずーっと渡した。
 これをだいしょうにんさまが「しょてんぜんじんたいまんである」と後々までお叱りになっておられまするが、そのような一つのことばくが日のあるうちにやった。
 そして、その12日の夜に佐渡の国のしゅ職を務めているほうじょうのぶときという有力者の所に預けた。
 ですから、だいしょうにんさまたいが表向きは佐渡ざいということでありまするから、佐渡のしゅ職のほうじょうのぶときさしのこう殿どの)の屋敷に預けたんですね。
 夕方5時に馬に乗せて、そして、ほうじょうのぶときさしのこう殿どの)の屋敷に預けた。
 ところが、表向きの佐渡ざいうのは嘘八百で、裁判にもかけずにそのままただちにその日の夜にくびを切ろうということで夜半のの刻(午前0時)にだいしょうにんさまふたたび馬に乗せられてほうじょうのぶときさしのこう殿どの)の屋敷をお出になられた。
 これは、くびを切らんがためにかまくらをお出になられたわけであります。
 そして、若宮小路に打ち出でた時、世間の者どもに『重大なこくはん・政治犯』とそうおもわせるために四方に兵隊共がだいしょうにんさまの周りを仰々しく囲んで護衛していった。
 その時、馬にお乗りになっていただいしょうにんさまへいたちに向かっておのおのさわがせたまうな。べちことはなし。はちまんだいさつさいもうすべきことあり」とこうおおせられて馬から降りられて、だいおんじょうでもっておおせられた。