この事を例えを持ってしめしになっておられる。

 「家にはしらがなければ家は持たないではないか」
 「人にたましいがなければその者はにんでではないか」

 「日蓮にちれんほんひとたましいなり」

 「だいしょうにんさまこそ全ほん人のたましいなのである」

 「へいの左衛さえもんすでにほんはしらたをしぬ」

 「日蓮にちれんだいしょうにん御頸おんくびたてまつらんとした。
 すなわち、だいしょうにんほんの柱であられるから、その日本にっぽんの柱を倒したんだ」

 どのような大罰だいばちが起きたか。

只今ただいまみだれて、それともなくゆめごともうしゅったいして一門いちもんどしう同士打ちして」

だいしょうにんさま御頸おんくびねんとして、佐渡さどに流したてまつった後にただちにほうじょう一門いちもんの中に同士打どしうちが起きてきたじゃないですか。きょう鎌倉かまくら内戦ないせんちまたとなった」

 そして

のちにはこくよりめらるべし」

隣国りんごくもうが必ず攻めてくる」

という事をだいしょうにんは仰せになった。

 「この大罰だいばちをもって、日蓮にちれんだいしょうにんさまおん元初がんじょじゅ用身ゆうじんと知れ」という事であります。

 何でこのような大罰だいばちが起こるか。すなわち、これは全部諸天しょてんはたらきでしょう。
 諸天しょてんが、だいしょうにんさまざいにし、死罪にしようとした時に怒りを成して、人の心に入って内乱を起こさしめるんですよ。
 ほうじょう時頼ときより時宗ときむね、この国主の兄弟に「時輔ときすけ」というこの者の心にはいって内戦ないせんを起こさせたんですね。
 そして、次には隣国りんごくの王の心にって、その王の心を動かして、ほんの国をしんりゃくせしめようとした。全部これは諸天しょてんはたらきじゃないですか。
 このように、だいしょうにんさまおん元初がんじょ本仏ほんぶつなるが故に、諸天しょてんしゅたてまつる。
 だから『しゅっせの本懐ほんがいじょうじゅしょ』にこういう御文があったでしょう。

たとだいじんのつけるひとなりとも、日蓮にちれんをばぼんしゃく日月にちがつてんとうてんしょう大神だいじん八幡はちまんしゅたまうゆへに、ばっしがたかるべし」と。

 「たとだいじんのつける人」

「どんなにきょうぼうなる権力を持った者であろうとも(へいの左衛さえもんみたいな男ですね)」
「これが、だいしょうにんさまを殺そうとしても、だいしょうにんさま梵天ぼんてんたいしゃく日月にちがつてんてんしょう八幡はちまん等の諸天しょてん善神ぜんじんが厳然としゅをするゆえに、絶対にこれを罰する事ができない。くびを切る事なんかできないんだ」

という事を仰せになっておられる。
 このように、宇宙的スケールの力用りきゆうを持った諸天しょてんしたがえ、そして、申し付ける。
 その大境界なるが故に、だいしょうにんさまあだを成す時にはこのような大罰だいばちが起こるのであります。
 この大罰だいばちをもって、とくをもって、だいしょうにんさまそんを、すなわちおん元初がんじょじゅ用身ゆうじんなる事をしめし下されたのが只今ただいまの御文であります。

 

 

平成20年 9月7日 浅井先生指導