高市首相を始めとする日本会議・神社本庁界隈の輩がなぜ明治憲法の精神を復活させ、日本を神の国とする改憲を最重要目標に掲げ続けているのか。その理由について歴史を紐解き少しく説明いたします。
国家神道とはもともと日本にあった神道とは異なるもので、明治政府が政治的な目的のために国家の力で日本国民に染み込ませたものであります。
すなわち、明治維新で政権を奪取した維新政府は、永きに渡った徳川幕府の将軍よりも天皇にもっと重い権威付けをするために国家神道を打ち出し、天皇を『古事記』『日本書紀』に登場する神々の直系の子孫、この世に生きる現人神と位置づけ、国家統治の体制を作ろうとしたのであります。
神仏分離令が出され、仏教を解体せんと日本各地で廃仏毀釈の嵐が吹き荒れたのもこのためであります。
1889年(明治22年)発布の明治憲法は、事実上神社参拝や天皇崇拝を義務としました。
その翌年には教育勅語が作られ、天皇を現人神としてその絶対的な権威の下に国民皆兵を進めようとしたのであります。
全国の小学校では天皇・皇后の写真「御真影」と共に教育勅語が奉安所に収められ、式典の時に校長が奉読し、生徒たちは最敬礼で直立不動のまま聞く事が儀礼として定められた。
そして、道徳教育の授業において「天皇は現人神であり、天皇のために死ぬ事は最も尊い美徳である」と忠君愛国の精神を繰り返し刷り込まれていきました。
教育勅語の12の徳目の中で最も核心をなすのは最後一条、すなわち
「一旦緩急有れば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」
「もし国に危機が迫ったならば国民は国家・天皇のために身命を捧げ、もって、天地と共に永遠に続く皇室の運命を助けよ」と。
一言で言えば「天皇のために命を捧げよ」という事であります。
また、天皇のために戦って亡くなった兵士の霊を祀る軍事的宗教施設として靖国神社が作られ「天皇陛下のために戦場で死ねば靖国神社に神として祀られる」という約束は、死に対する兵士の恐怖を名誉へと変える強力な仕組みとなりました。
これらが後の国家総動員法を正当化し、あの無謀な特攻隊へとつながっていくのであります。
このように、国民皆兵の軍事国家の理念となったのが教育勅語だったのであります。
ちなみに、高市首相は幼い頃に教育勅語を両親から繰り返し教えられた事を自身のブログに記し、教育勅語の事を「現在においても尊重するべき正しい価値観」と絶賛し「見事な教育勅語は敗戦後のGHQ占領下で廃止されてしまいました」とその廃止を惜しんでおります。
高市首相の思想が戦前の日本を復活させようとする日本会議のそれにどっぷりつかり、その希求する国家像こそ天皇のために命を捧げる姿である事はこの事からも明らかであります。
話を戻しますが、こうして、謗法の国家神道を打ち立てた日本は日清・日露・日中・日米戦争へと引きずり込まれ、ついには三百数十万人の犠牲者を出して敗戦を迎える事になりました。