「夫れ運きはまりぬれば兵法もいらず。果報つきぬれば所従もしたがわず」と。
「もしその人の福運が尽きてしまったならば、どれほどの強者であろうとも兵法などは一切役に立たないのだ。
また、果報が尽きてしまったならば、たとえ自分の家来であっても言う事は聞かない。
自分を助けてくれる部下も全部離れていってしまうというものなのだ。
今そこに、四条殿がこの大難を逃れる事ができたというのは、決して、四条殿の武芸の力ではない。実にかかって、まだ福運が残っておった。
なぜ福運が残っておったかというならば、御本尊を信ずるがゆえにその福運があったんだ。
そこに、諸天の守護が厳然としてあったという事をよくよく考えよ」
という事が今の御言葉であります。
そして
「これにつけても、いよいよ強盛に大信力をいだし給へ。我が運命つきて、諸天守護なしとうらむる事あるべからず」
というのは、これは、大聖人様がどれほど四条殿の事を心配あそばしておられるかという事の御言葉ですよ。
「まだこれからも暗殺があるかもしれない。
何としても門下で目立つ存在であるから、その命を狙われるなど、一瞬の油断もあってはいけない。何としても四条金吾を助けん」
という大聖人様の強き思いですね。
「湿れる木より火を出だし」というあの大聖人様の大慈大悲が、この「信心堅固に」という(「駿馬になお鞭を打つ」という例えがありまするが)思いとなった。
駄馬ではない。四条金吾殿は、竜の口でもって追い腹切らんとしたほどの捨て身の人です。この方にもなおかつ「いよいよ強い信心に立て」という事を仰せになっておられる。
「これにつけても、いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」
「今度狙われた時に、我が運命が尽きて『諸天が守護しなかったではないか』という事の恨みがあってはいけない」
という事を仰せになって
「将門はつはものの名をとり、兵法の大事をきはめたり。されども王命にはまけぬ」と。
将門というのは平将門という平安朝時代における武将でありまするが、戦上手だったんですね。
瞬く間のうちに関東一帯を平らげて制定して、独立王国を作っちゃったんです。
朝廷の命令をうけないで「新皇(新しい王)」と称して、関東各国に自分の部下を地方の官僚に任命したというほどの権力を持ったんです。将門は一代の英雄であります。
しかし、その将門にしても、朝廷から追討軍が出されて、ついには力及ばずして負けてしまった。身を滅ぼしてしまった。
それから、樊噲・張良というのは、中国におけるあの有名な豪傑ですね。並ぶ事のない戦上手で豪傑であった。
こういうような豪傑であっても、一度力が尽きるならば、自分よりもっともっと力の強い者が出てくるならばあえなく負けてしまう。
ですから、この世の中に「天下無敵」という事はあり得ないんですね。
どんなに「自分が力がある」「自分にはお金がある」といって慢心してようとも、世の中にはもっともっと力のある物がある。
よって「もし御本尊様の守護がなければ、諸天の守護がなければいっぺんに身を滅ぼしてしまう」という事を
「四条金吾殿が油断なく、御本尊の御守護によって身を全うせよ」
という事をお教え下さるわけであります。
この力に驕っても、より強い力の前にはまことに儚くなる。
私達は、世の中の動きをみると本当に実感ですね。
どうですか、この100年に一度と言われる世界大不況の津波が襲った時、今までそびえ立っておった世界に名だたる銀行・証券会社があっという間に潰れてしまったではないですか。
リーマンを始めとしてバタバタと潰れてしまった。
それから、それが今実体経済に及んできて、日本のトヨタなんていうのは「世界第一の優良企業」と言われておるでしょう。お金も資金が豊富であるから「トヨタ銀行」なんて言われておる。「トヨタ帝国」とも言われている。
それがいま、大不況の波の前には揺らいでしまったですね。
アメリカのビッグスリーも存立の危機に立っている。
いやそれだけではない、アメリカという国家そのものが、世界に君臨しておった金融大国が今泥沼でどういう風になりますかね。まだめどがつかないですね。オバマがどういう政策を取るか。いずれにしても誰一人としてめどのついてる者はいないです。
これほど、あれほど力に驕ってた大銀行・証券、そして大企業、そして、国家そのものがより大きな津波の前には何と儚い姿を見せるものなのか。
『諸天の力に比べれば人間の力なんかは小さなものだなあ』という事をしみじみ思うんですね。
これを大聖人様は四条殿によくよく教えられて
「将門も王命には負けた。樊噲・張良も儚くなってしまうのだ」と。
そこで
「ただ心こそ大切なれ。いかに日蓮いのり申すとも、不信ならばぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし。
はげみをなして、強盛に信力をいだし給うべし」
「だから、武芸の力に頼るなんていう小細工ではない。
信心の肚を決め切って、御本尊様の御守護、諸天の守護を頂かなければいけない。
大聖人様がいかに四条殿の事を諸天に『助け給え』とこう祈ったとしても、もし四条殿の信心が薄ければ、濡れたる火口に火を打ち掛けるようなものである」
「ほくち」というのはライターの芯のようなものですね。火を取る装置のあれですね。
ライターで火をいくらつけようとしても、芯が濡れておったら火はつかない。
昔は火打ち石でもって火を付けたんですね。火打ち石でもって火を移そうとしても、その火口が濡れておったんでは火を取る事ができない。
そこに、大聖人様がいかに諸天に「四条殿を守れ」とこういう事を祈ろうとも、四条殿に油断があったらだめなんだ。
ゆえに
「はげみをなして、強盛に信力をいだし給うべし」
「何としても四条金吾を守る」という大聖人様のお心がここに現われているのであります。
「すぎし存命不思議とおもはせ給へ。なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」
「あの時の闇討ちでもって、当然助かるとはだれも思えない。
『死んで当然』と思われるような中を存命したという事、これを、不思議と思わなければいけない。
これこそ御本尊様の御守護なんだ」と。
よって
「何の兵法よりも法華経の兵法を用いなさい。信心を大事にしなさい。
諸天の守護によって、今後においても身を全うしていきなさい」
という事を仰せ下さるわけであります。
平成21年 1月11日 浅井先生指導
- 四条金吾殿が受けた闇討ちの大難
- 信心が強ければ必ず守られる
- 日蓮大聖人の御守護を頂いて進んだ顕正会の戦い