で、大聖人様ほどの仏様が何で下賤の家に生まれたのか。
この事でありまするが、大聖人様が至る所に「自分は旃陀羅の家に生まれた」という事を仰せになっておられまするが、こういう事を言うと本当にお叱りを受けると思うんですが、大聖人様が下賤なのかというと私はそうは思わないですね。
『産湯相承』を拝するとそれがわかるような気がするんですね。
大聖人様の母君は「梅菊女」という御名前であられた。漁師の妻にどうして「梅菊」という名前がありましょうか。
また、大聖人様のお生まれになった安房の国のあの一帯は北条朝時という有力者の妻の大尼御前という、それが常にあの辺り一帯を領地としておったんですね。
で、大尼御前が何か大聖人様の御両親に対して大変な庇護を加えているんですよ。 これは、大聖人様の御両親が何か非常にいわれのある事を知っておったんじゃないか。
大聖人様が、初めて鎌倉でもって弘通を展開あそばした。
その時に、松葉ヶ谷の草庵を後ろから庇護して、それを建てたのは誰かというと大尼御前ですよ。何で漁師の子供にそんな事をするのか。
また、漁師の子供が12歳でもって学問のために清澄寺にお登りになるという事もふさわしくない。
何よ『産湯相承』に、母君の御懐妊の時の夢として
「叡山の頂に腰をかけ、琵琶湖の水で手を洗い、富士の山より大日輪(太陽)が出づるを抱き奉ると思って後に、月水留まる」
と「そのような夢を御覧になってから御懐妊があった」と。
こういう事を見ると、千葉の漁師の妻が
「叡山の頂に腰をかけ、琵琶湖の水で手を洗い、富士の山より大日輪(太陽)が出づるを抱き奉ると思って後に、月水留まる」
とそういう事はどうも地理的に言っても私はいろいろと考えていた(余計な事を言うと大聖人様にお叱りを受けるからこれ以上申しませんけれども)、大聖人様は至る所にわざと「旃陀羅が子なり」と仰せになっておられる。
この事について日寛上人はこう仰せになっておられるんですね。
なぜ下賤の家に生まれたかについて2つの理由があるという。
1、下賤の家に生まれなかったら、三類の強敵を招いて三徳を顕わす事ができないんだ。
そうなんです。大聖人様がもし皇太子として生まれたならば、例えいかなる強い折伏を行じ給うとも流罪・死罪はないですよ。皇族の生まれなら頸を切るなんて事はあり得ませんよ。
それでは三類は出てこない。三類が現われなかったらどうして末法下種の本仏を顕わすことができようか。
そうでしょ。竜の口にお座りあそばせばこそ、その不惜身命の御修行によって久遠元初の自受用身と顕われ給う事ができたんですから。
そこに「下賤に生まれ給うた」という事はそういう理由なんだ。三類の強敵を招くためなんだ。
2、「『下賤の家に生まれる』という事は慈悲の極みだ」という事を日寛上人はおっしゃっておられる。
引いて曰くには(聖徳太子の願(願い)があるんですね。その事を引いておられる)日寛上人は
「聖徳太子が常に願っておった事は『日本の国において仏法がまだ広く弘まってない。
自分は家々を回って広く民衆にこの仏法を説きたい。だけど、皇太子に生まれてしまった。よって、広く人々の門戸を訪ねる事ができないのだ。
願わくは、早くこの身を捨てて微家に託生して(『微家』というのは『微分・積分』の微、要するに『ほのかな家』)(貧しい一般庶民の家を『微家』というんですね)(微家に生まれて)衆生を救済したい。これが我が願いである』」
と言ってるんですよ。
聖徳太子は「皇太子(皇族)として生まれるならば微家に託生したい」これが願いであった。
今私達は願いもしないのに(大笑)微家に生まれちゃった(笑)。
でその微家に生まれた私達が下から大聖人様の御味方をして、どぶ板を踏んで折伏を行ずるという事は、ハッキリ言ってこんなに有難い事はないんです。聖徳太子ですらも願った。
でこのように
「三類の強敵を招くためである」「今一つには慈悲の極みである」
とこの2つの理由を日寛上人は挙げておられる。
で、今この『佐渡御書』において、ことさら
「貧窮下賤の者と生まれ、旃陀羅が家より出でたり」
とこういう事を仰せになることについて日寛上人はまた
「これは何かというと『身の下賤を挙げる』という事は内証の尊貴を顕わすためなんだ。
『身はこのように賤しいけれども、実は、内証においては自分は久遠元初の本仏なんだ』という事を密かに顕わすためにわざと下賤の身をまずここに顕わされるんだ」
と仰せになっておられる。