しゃく謗法ほうぼう滅罪めつざいしょう』にたまわく
 いかなるみだれにも、各々おのおのをば法華ほけきょうじゅうせつたすたまへと、湿しめれるよりだし、かわけるつちよりみずもうけんがごとごうじょうもうすなり。



 この『しゃく謗法ほうぼう滅罪めつざいしょう』は、だいしょうにんさま佐渡さどざいちゅう文永ぶんねい10年に、鎌倉かまくらじょうきん殿どのたまわったしょであります。
 じょうきん殿どのといえば、あの竜の口の大法難だいほうなんの時にざい弟子でしとしてただひとともを許された人でありまして、あのくびの座におけるだいげんしょうたりにした人ですね。
 この時、じょうきん殿どの

だいしょうにんさま御頸おんくびがもしねられたならば、その場をらずにはらって御供おんともつかまつる」

とそこまでのけつをされた方ですね。
 だいしょうにんさまはその時のこと後年こうねん振り返られて「いつのにかわすれざるべき」おおせになって

「あのけつ、あのこころざしというものを自分は忘れることができない」

とまでおおせになっておられまするが「その後においても、佐渡さどにおけるだいしょうにんさまの御身をあんじては、じょう殿どのなんなん御供ごくよう品々しなじなをお送り申し上げているし、そして、主君しゅくんの許しをては、自分しんがはるばると佐渡さどまで渡ってだいしょうにんさまにお目通りをいただいた」というまさに身命も惜しまぬ強き信心しんじんの人であります。
 この方に、この『しゃく謗法ほうぼう滅罪めつざいしょう』を下さった。
 そして只今ただいま拝読はいどくもんはその最後の一節ですね。

いかなるみだれにも、各々おのおのをば法華ほけきょうじゅうせつたすたまへと、湿しめれるよりだし、かわけるつちよりみずもうけんがごとごうじょうもうすなり」と。

 「いかなるみだれにも」というのは「どれほどの中がみだれようとも」ということでありまするが、当時の日本国の社会は猛烈もうれつみだれておったんですね。
 これは文永ぶんねい10年のしょでありまするが、前年の9年にあのかいほんぎゃくの罰が現われたんですね。 時の国主こくしゅほうじょう時宗ときむねの実の兄である時輔ときすけが兵をひきいて反乱はんらんこした。
 「弟の時宗ときむね執権しっけんしょくいた。国権こっけんにぎった」ということでもって、それに対してこころよく思わなかったんですね。
 でこの反乱はんらんの時に、実はじょう殿どのつかえてる主君しゅくん江馬えま光時みつときという人がある。これがやはりほうじょう一門いちもんなんですね。
 この弟のほうじょう時章ときあきとそれからほうじょう教時のりとき、この2人の弟が何とほんくわわっちゃったんです。そしてころされているんですね。
 そのために、じょう殿どのつかえてる主君しゅくん江馬えま光時みつときも「お前もほんくわわっているんじゃないか」とけんをかけられて、そういうこと閉門へいもん蟄居ちっきょ鎌倉かまくらばくから申しつかって「がいせよ」ということになっちゃったんです。
 もしこの主君しゅくんがいしたならばじょう殿どの大変たいへんことになりますね。
 ところが「いつの間にかそのけんも晴れてたすかった」ということで、だいしょうにんさまはこの時

江馬えま光時みつときしんの中にじょう殿どのがいたから、そのどくによって主君しゅくんたすかったんだ」

とこういうことおおせになっておられまするが、まさしくこのかいほんぎゃくなんということきょう鎌倉かまくらせんに巻き込む本国ほんこくちゅう大乱だいらんだったんですね。
 そして、その時同時にもうしゅうらいということ切迫せっぱくしておりました。
 なんなんもうから国書こくしょが来る。そして、この文永ぶんねい10年の3月には、もう使しゃが九州のざいまで来ております。
 その切迫せっぱくの中、もう1つ、だいきんが襲っておったんですね。食べる物がまったくない。
 ですから、当時の書物しょもつに『八幡はちまん童訓どうくん』という書物しょもつがあるんですが、その中に著者ちょしゃが書いてるんですね。

 「もうらんにゅうよりも、このかちにておおくのひとぬべし」と。

 「もうが攻めてくる前に、このきんでもってみんな日本人にっぽんじんは死ぬ」というくらいのだいきんが襲ってきたということで、まさにかいほんぎゃく、そしてこく侵逼しんぴつが刻々とせまる。そしてきんの中に社会しゃかいあんでもって人々の生活せいかつもまことにくるしかった。
 それをいかなるみだれにも」とこうおおせになっておられるわけであります。
 「各々おのおのをば」というのは、じょう殿どのを始めとしただいしょうにんさまを命かけてしんじまいらせるそのもん人達ひとたち大勢おおぜい鎌倉かまくらにいる。

 「この人達ひとたちこと各々おのおのをば法華ほけきょうじゅうせつたすたまへ』と強く強く自分はいのってる」

とこうだいしょうにんさまおおせられる。
 そのだいしょうにんさまもんを何としても守らん」とのその一念いちねんの強さはどのようなものかをここにおおせになっておられる。

湿しめれるよりだし、かわけるつちよりみずもうけんがごとく」

 これがだいしょうにんさま「何としてももんまもる」という慈悲じひであられた。
 今はライターがあって火を簡単かんたんこすことができますけれども、昔は「火をこす」ということはなかなか大変たいへんだったんですね。
 それは、板の真ん中に穴をあけて、それにちょっけい1.5cmぐらいの丸い棒を突っ込んで、それをりょうでもってこすりながら、強くこすってくると擦熱さつねつでもってついに火を発する。途中でやめたのでは火はきない。いっしょう懸命けんめい火をこす。なかなか火をるということ大変たいへんことであります。
 いわんや、その板がベトベトに湿しめっておったら火なんかきっこないでしょう。
 そのことだいしょうにんおおせになっておられる。
 どれほど湿しめった木であっても、それを熱して火をるようなおもい(これは、不可ふかのうのうにするようなそのおもい)でもって

「自分は、何としても命かけてこの信心しんじんつらぬいているもんの者をまもるのだ」

という事のおおせが只今ただいまことであります。
 まことに勿体もったい有難ありがたことでありまするが、だいしょうにんしんはこの時佐渡さどざいであって今日きょうる、明日あする」といってしんが命の危険の中にありながら、弟子でしだん生活せいかつじょうことまでこのように心配しんぱい下されたということなのですね。


平成21年 3月8日 浅井先生指導