久しぶりのしょこうであります。
 しょというのは有難ありがたいものですね。だいしょうにんさまが「このようにしんじんしていきなさい」と直接私達にしんじんなんくだされた。ざいだんを代表といたしましていっさいしゅじょうどうくだされた。
 ですから、ほんぶつ直々のどうでありまするから、その一文一句を我が身に当てはめて『有難ありがたい』とのこの一念でもって命にめてください。
 ことに、今広宣こうせん流布るふ前夜にゆいめいじょうじゅに戦う顕正会員は「ざいは今にあり」とのこの気持ちでもってしょしんかんめてほしいとおもっております。
 本日は、いけがみきょうだいくだされたしょであります。
 いけがみきょうだいくだされたしょは数多くありますけれども、この『けいていしょう』はその代表的なしょですね。非常にだいことが説かれております。
 まず、いけがみきょうだいとその父の名前でありまするが、いけがみきょうだいの兄を右衛もんのゆうむねなかと申します。
 御大会式の時に私は必ず「こうあん5年10月13日武州いけがみむねなかの館において」と申しまするが、そのいけがみむねなかの館がお兄さんのお家だったということであります。
 そして、弟はひょうえのさかんむねなが、父親をもんの大夫だゆうやすみつと申します。

 


 でだいしょうにんさまりっしゅうけんちょう5年でしょう。それから3年後のけんちょう8年にいけがみきょうだいのお兄さんがにゅうしんしたんです。
 ということは、だいしょうにんもんの長老とわれる六老僧の一人の日昭にっしょうという人がいました。
 その日昭にっしょうという人がいけがみきょうだいの叔父さんに当たるんですね。その縁でもってだいしょうにんさましんじんはいったということであります。
 ですから、このいけがみきょうだいというのはだいしょうにんもんの多くのの中でさいさんですね。じょうきん殿どのと並ぶほどのさいさんであります。
 いけがみきょうだいのお兄さんは恐らくにゅうしんの時に20代(今の男子部と同じような年代でありまするが)、そして、そのお兄さんの勧めでもって弟のむねなが殿もにゅうしんしたとおもわれる。
 できょうだい二人でもってにゅうしん以来一度も退たいてんなく一筋ひとすじだいしょうにんさましんじまいらせたということであります。
 でこの一族の住んでいるところが(東京都の大田区に洗足池せんぞくいけという所がありまするが、今は非常に小さくなりましたが昔は広大な池だったんですね)その洗足池の北のかみに住んでおったから「いけがみ」という。
 現在もその「いけがみ」という地名が残っておりまするが、その地名を取って「いけがみ殿どの」と呼ばれてきたわけであります。
 でこのいけがみは藤原家の流れをくむなかなかの名門でしてね、お父さんはばくさくぎょう(建設関係のせきにんしゃ)をやっておった。
 この「さくぎょう」とは今でいえば建設大臣みたいなもので、相当な重職にあった人、めいもんであります。
 ところが、この父親がにちれんだいしょうにんを深くおんしつするあのりょうかんぼうに深く帰依しておったということなのです。
 そして、いけがみきょうだいけんちょう8年ににゅうしんして以来、何と20年後にお兄さんが父親からかんどうされてしまったんですね。
 「しんじんを止めなければかんどうする」ということった。
 その当時のかんどうというのはどういうことかといえば、いけがみむねなか殿どのにとってさいけんぞくがあるんですからかんどうされるということは自分の生活の道を絶たれる事、命に及ぶことだった。
 「しんじんを止めなければかんどうする」ということは大変なことでありまするが、この裏に、りょうかん策謀さくぼうがあったということなのであります。
 このかんどうの時にだいしょうにんさまだいだいどうくだされた。
 このだいしょうにんさまの強きどうによっていけがみきょうだいはその難を乗り越えたわけでありまするが、その時くだされたしょが『けいていしょう』であります。


平成17年 3月4日 『兄弟抄』御書講義