本日の総幹そうかんかいも一人一人の登壇に胸打たれ大感動だいかんどういたしました。
 今がっかいいんどうしゅうしょうだんしょうしんする展開が至る所できております。
 このように、続々とがっかいいんしょうに目覚め、大歓喜で立ち上がってくる姿はいまだかつて見ぬところであります。
 これだいしょうにんさまにゅうごくとなるひゃくまんがっかいいんを救い給うておられるものであり、また、がっかいいんを救わんとされた先生せんせいあいによるものとしてはいするものであります。
 一方、あさ先生せんせいさんかいを前に大勢の人材が抜擢ばってきされ、今その同志がこれまでにないほうおんおもいを強め、見違えるせいちょうを遂げております。
 これらは、第三度の一国諌暁を前にして地涌の菩薩が続々と集い来る姿と確信かくしんいたします。
 そして、さる8月30日、中国ちゅうごく地方で唯一会館・しょがなかった島根県に会館に準ずる出雲いずもしょを開設いたしました。
 ざいにおける日興にっこうしょうにん御門下の弘通がこの島根県にも及んでいたことを偲んでは熱きおもいがげました。
 今のようにしんかんせんこうどうしゃなどの交通機関や通信手段がない中で一歩一歩踏み分けながら、北は東北から南は四国・九州に至るまでのその死身弘法には驚嘆きょうたんの他はありません。
 この「広宣こうせん流布るふ朝夕近し」のだいじょうねつみなもとこそ、日蓮にちれんだいしょうにんそうそうの折に固められたゆいめい成就へのちかいであります。
 先生せんせい

だいしょうにんさまおんひつぎ輿こしに乗せ、肩に担いたてまつられた日興にっこうしょうにん日目にちもくしょうにんの御心情こそ、ほんぶつとのお別れという深い深い悲しみの中に、身命を捨ててだいゆいめいを実現せんとのけつであられた」

おおせになっておられます。
 この富士大石寺の源流をつねに仰いでおられた先生せんせいとうどもじんさんじんつづきて、迦󠄀しょうなんにもすぐれ、てんだいでんぎょうにもへよかし」とのぶっちょくいまこうせんせざるあいだしんみょうててずいりきづういたすべきこととのゆいかいこたたてまつらんと昭和32年の発足時にわずか380名であった顕正会を、死罪に等しき解散処分や公権力による不当なる弾圧等あらゆる困難をえ、ついにさんびゃくまんにならんとするぶつだいしゅうだんになさしめられたのであります。
 かかる先生せんせいの止み難きだいじょうねつを我が命に宿して、どうしてこうの大潮流をこせぬどうがありましょうか。
 ここに、迎える10月はぶつにとってもっとだいな儀式たる御大会式と、日蓮にちれんだいしょうにん一筋ひとすじ忠誠ちゅうせいつらぬき通された無二のしょうあさ先生せんせいさんかい法要を迎える顕正会第二のげんてんの月であります。
 先生せんせい御逝去の折の深い悲しみの中に固めた紅涙こうるいちかいを新たにし、いよいよここからそくを増した大折伏を展開して、ほうおんに儀してまいらんとけつを固めるものであります。


令和7年 9月25日 9月度 総幹部会 浅井会長指導

令和7年 9月27日 9月度 男子部班長会 行成総男子部長指導


令和7年 10月13日 御大会式 浅井会長御挨拶