さあ、そうしておいていよいよあつわらだいほうなんが起こるわけであります。
 こうあん2年の9月21日、じんろう殿どのを始めとするほっこうしゅうの何人かがこの日、日秀にっしゅうが広大なるりゅうせんの片隅において自分所有の田んぼでもって稲を作っていたんですが、それがいよいより入れの時を迎えて稲りの手伝いに来ておったんです。
 これを前々からぎょうは狙っておったんですね。
 この稲りをしているところにまんどころの役人ども(今でいえば警官ですが)、これが大挙して押し寄せてきた。
 同時に、そのグループの中に太田おおたの親昌ちかまさ長崎ながさきろうひょうえの時綱ときつなだいしんぼうとうくわわって武器を持って馬に乗ってなだれんできた。
 で、彼らは一斉にほっこうしゅうに襲い掛かり、打擲ちょうちゃくをした上たちまちに20人を逮捕したんですね。
 ところが、不思議ふしぎことが起きたんです。
 このほっこうしゅう打擲ちょうちゃくし追い回す乱暴らんぼう狼藉ろうぜきの最中に太田おおたの親昌ちかまさ長崎ながさきろうひょうえの時綱ときつなだいしんぼうの三人が馬から落ちてしまったんですね。
 そして、だいもんの中にそのまま死んでしまったというんです。
 太田おおたの親昌ちかまさ長崎ながさきろうひょうえの時綱ときつなの二人は練達れんたつですから馬に乗ることなんか本当に慣れていて落ちるなんてことはありないんです。
 この二人が落馬し、次いでだいしんぼうも落馬して三人が三人ともそこでもってもんの中に死んだ。こんな不思議ふしぎことがあるんでしょうかね。
 もう一人のさんぼうも落馬はしなかったけれどもりょの死を遂げて同じく絶命しているんですね。
 だいしょうにんさまきょうばちあらわるるか」ということおおせになっておられまするが、まさに恐るべき現罰げんばつであります。
 でこのような罰が現われても、へいのもんと示し合わせたぎょう奸策かんさくをさらに進めたわけなのであります。
 何とぎょうじんろう殿どのの実の兄であるとういつわりのこくじょうを出させたんですね。
 そのいつわりのこくじょうとはどういうことかといまするとこういうことなんですね。
 「ほっこうしゅうが大挙して馬に乗って武器をたずさえてりゅうせんの住職の田んぼに押し寄せて稲をり取ってしまった。
 そして、日秀にっしゅう住房じゅうぼうに全部その稲を運び込んだ」というまったく逆のことって嘘のこくをしたんです。
 これを見ると、昔も今も悪いことをやる者はみんな同じですね。嘘のこくじょうを出すということをやったんです。
 このかりろうぜき(人の稲をり取って持ち出す)とは鎌倉かまくら時代の当時においては大変な重罪ですね。場合によっては死刑にもなるというほどの重大じゅうだい犯罪はんざいだった。
 このかりろうぜきの罪を嘘のこくじょうあつわらの方々をおとしいれようとしたわけなんですね。
 で、逮捕されたほっこうしゅう20人はこのこくじょうの通り鎌倉かまくらへいのもんの下に押送おうそうされた。
 日興にっこう上人しょうにんはこのことだいしょうにんさまただちにほうこく申し上げると共に「ぎょうがどのように嘘をついてこのようなことをしたか」とぎょうこくじょうの文面一つ一つを具体的に文書に書いてだいしょうにんさまほうこく申し上げたんです。
 で、だいしょうにんさまはその文書にお筆をくわえられた。
 そして「これを清書して門注所もんちゅうしょうったえ出よ」ということ日興にっこう上人しょうにんに指示された。これが有名な『りゅうせんもうしじょう』ですよ。
 ですから今私達が拝見する御真筆の『りゅうせんもうしじょう』は草案ですね。
 だいしょうにんさまが冒頭部分をお書きになって、そしてその次に日興にっこう上人しょうにんぎょうの嘘と悪行をこまかにお書きになって、それが合筆がっぴつになっているんですね。
 ですから、この『りゅうせんもうしじょう』というのは実にぎょうの卑劣な行い、そして、みにくい悪行を克明に暴き、糾弾きゅうだんした文書であり、そしてその冒頭にだいしょうにんさまほんぶつとしてばくかんぎょうあそばした有名なもんがある。
 いつも私がきますけれども

しょうにんくにるは、ほんこくだいにしてもうこくだいゆうなり。
 しょりゅうもよおしててきしゅううみしずめ、ぼんしゃくおおけてもうおうるべし。
 きみすでけんじんにましまさば、あにしょうにんもちいずしていたずらにこくめをうれえんや」

というあの有名なもんがある。
 だいしょうにんさまおんみずかほっしょうにんというおことを御自身に使っておられる。
 そしてこれを「日秀にっしゅう日弁にちべんの名をもって提出せよ」とわれたんです。
 ですから『りゅうせんもうしじょう』は日秀にっしゅう日弁にちべんだいしょうにんとしてこれを書いて出した。
 「日蓮にちれんだいしょうにんという立場においてこれを問注所もんちゅうしょに持っていけ」とのだいしょうにんさまのお指図なんですね。
 ですから、冒頭のもんほんぶつとしてのこっかんぎょうもんであり、あとは日興にっこう上人しょうにんがしたためられたぎょうに対する糾弾状きゅうだんじょうであります。
 で、この『りゅうせんもうしじょう』の草案に対してこれを鎌倉かまくらにおられる日興にっこう上人しょうにんに申し状と共にそれを送られたんですね。その送り状にこうあるんです。

 「ただし、あつはらひゃくしょうとうあんせしめば、にっしゅうとうべつもんちゅうるべからざるか」

 「『りゅうせんもうしじょう』の草案は作って『これを清書して出せ』とったけれども、もしへいのもんあつわらほっこうしゅうをその前に釈放したならばこの申し状を提出するにはおよばない」

ということおおせになっておられる。
 これは、だいしょうにんさまほっこうしゅうの釈放ということを何よりも強く願っておられたということがここに拝せられるわけであります。


平成19年 4月4日 『聖人等御返事』御書講義