もう一つ、彼は平和憲法の擁護者みたいな事を言って、そして「憲法、憲法」と言った。
その時に、国立戒壇という事を以前彼が主張しておった。
それを、いろんな評論家や共産党からいろんなマスコミでもって「国立戒壇は憲法と相容れないじゃないか」と言われたらズキッとそれが痛くなった。
本来は少しも当たらない。どういうような教義を立てようとも「信教の自由」という事で憲法はそれを認めているわけでありますから。
それを「憲法違反」と言われただけで当たりもしない批判を恐れて、そして、憲法を主として日蓮大聖人の仏法を従として、憲法に合わせて大聖人の御遺命を変えてしまった。
よって「国立戒壇という事を言わないようにしよう」「批判が多くて選挙に不利である」という事で、憲法を主として大聖人の御遺命を憲法に合わせて曲げてしまった。
ちょうど靴に合わせて指を切るようなものですよ。
これを池田大作がやって、あろう事か「今の時代には国立戒壇は合わないんだ」「だから大聖人様は御書の中で国立戒壇という言葉を残してない。先を見ておられたんだ」と馬鹿な事を言って、それに時の貫首が乗って一体となった事によって富士門流が、この正系門家があろう事か大聖人様の一期の大事な御遺命を投げ捨ててしまったという事が御遺命違背であります。
この時、顕正会だけが解散処分を受けても御遺命を守らせて頂いた。御奉公させて頂いた。私は『本当に有難い事だ』と思う。
そして、偽戒壇正本堂は音を立てて崩れたわけであります。
大勢順応では成仏は叶わないんですよ。
いかに悪口を言われようとも、反対されようとも、一人の大聖人様に忠誠を貫く。
ここで、初めて成仏という事があるわけなんですね。
顕正会員はこの「日蓮一人」という仰せを絶対に忘れてはいけない。
ですから、いかなる立場にあっても「我一人立つ」とのこの気魄を持たなければいけない。
例えば、自分が入信したけれども、家族全体はまだ反対している。
この時「我一人立つ」という思いに立つ。
これがくじけてしまったら家族全部が地獄になるんですよ。
誰か一人が毅然と立てば、やがて家族全体が仏になっていくんですね。
だから、一番最初に入信した家族の中で一人が毅然として立たなければいけない。
あるいは自分の部落、村では一人も信心をしていない。自分が一人この三大秘法に目覚めた。「我一人立つ」とのこの気魄なんです。
組織でもそうですよ。自分の組を見ても、班を見ても、みんな長一人で一緒に戦ってくれる人がいない。いいじゃないか。まず自分一人が立つ。
その気魄で立つ所に広宣流布の道が開けてくるんですね。
いよいよ広布前夜の大事なこの日本の国を救う戦いは顕正会が御奉公する以外にはないんです。
一人一人が「我一人立つ」とのこの気魄でもって大聖人様に忠誠を貫こうではありませんか。
平成25年 1月20日 浅井先生指導