第2のげんしょうは『立正りっしょう安国論あんこくろん』のげん的中です。
 こっの興亡盛衰の根本原因は正しい仏法ぶっぽうしんずるか背くかによる。
 だい聖人しょうにんざいの当時の日本にっぽんは一同に念仏・真言等の邪法をしんじていた。
 その中でだい聖人しょうにんさまは母のせきの口に乳を含めんがごとくのだいだいをもって一切衆生に「一切の邪法を捨てて南無なむみょうほうれんきょうと唱えよ」ということをお勧めくだされた。
 これを見て、邪法の坊主らは憎悪を抱き、民衆を扇動せんどうしてだい聖人しょうにんさまを憎ませた。
 かくて、だい聖人しょうにんののしる声は一国に満ちた。
 その中で、正嘉元年に前代ぜんだいもん巨大きょだいしんが発生した。
 以来、連連としてじょうしょう・大飢饉・大疫病等が続き、人民の過半が死を招くに至った。
 「半分が死んでしまった」というんです。大変なことです。
 この惨状さんじょうを眼前にされただい聖人しょうにんさまは「これ日本国が国侵逼こくしんぴつの大難を受けて亡ぶ前相である」と判じ給い、日本国にっぽんこくを救うため『立正りっしょう安国論あんこくろん』をもって国主を諌暁あそばされた。
 この『立正りっしょう安国論あんこくろん』には国侵逼こくしんぴつかいほんぎゃくが必ず起こることを次のごとく厳然とげんされております。

 「せんなんあきらかなり、こうさいなんうたがわん。
 のこところなんあくほうとがってならおこきそきたらば、ときいかんがんや」
と。

 「先難せんなん」というのは、正嘉元年のだいしんを始めとした天変地夭ですね。
 じょうしょう・食糧危機・大疫病、これらがすなわち先難せんなんであります。これは、目の前にも明らかではないか。
 ならば、次に起こる災難を何ぞうたがことができようか。
 もし残る所の難が悪法のとがにより並び起こって競い来たらばその時はどうするのか。
 つづけて

ていおうこっもといとしててんおさめ、にんしんでんえんりょうしてじょうたもつ。
 しかるにほうぞくきたりてくにしんぴつし、かいほんぎゃくしてりゃくりょうせば、あにおどろかざらんや、あにさわがざらんや。
 くにうしないえめっせば、いずれのところにかのがれん」

おおせあそばす。
 この国侵逼こくしんぴつげんこそ『立正りっしょう安国論あんこくろん』の肝要かんようもんである。
 これは、私がうのではない。日寛上人しょうにんがそうおおせになっておられる。
 このげんは蒙古襲来の14年前のことですね。いまだ何の兆しもない時における御断言です。
 これを見る時、だい聖人しょうにんげんは海外情勢などを集めて推測するけん一般の予測とはまったく次元を異にしていることが分かります。
 まさに、仏法ぶっぽうしゅする諸天しょてんに申し付ける絶大ぜつだいとくをもって御断定されたことであるからたがことまったくないんです。
 ゆえに『じょうきん殿どのへん』にはこうおおせですね。

 「きょうかたきとなりしひとをば梵天ぼんてん帝釈たいしゃく日月にちがつてんばったまいて、皆人みなひと見懲みこりさせたまへともうけてそうろう
 日蓮にちれんきょう行者ぎょうじゃにてあるなしはこれにてらんあるべし。
 ないえてにくみてはもうさず、だいだいちからげんごくだい今生こんじょうさしめんとなり」

 日蓮にちれんだい聖人しょうにんに背くことが罰を受ける恐ろしいことであることを知らない者が愚かにも背いているんです。
 それを見てだい聖人しょうにんさま梵天ぼんてん帝釈たいしゃく日月にちがつてんに「これらの者達を罰し給え。そして皆に見懲りさせよ」「日蓮にちれんだい聖人しょうにんさまに背くこと南無なむみょうほうれんきょうに背くことがどれほど恐ろしいかということを見せさせ給え」と申し付けた。
 だい聖人しょうにんさまはここではっきりともうけてそうろうおおせになっておられる。

 「日蓮にちれんきょう行者ぎょうじゃにてあるなしはこれにてらんあるべし」

 このことじつとなるかならないか、国侵逼こくしんぴつむなしくなるかならないか、このことによって、だい聖人しょうにんさま諸天しょてんに申し付ける絶大ぜつだいとくを持ったきょうの行者であるかないかがこれで分かるのであるとおおせである。
 そして

ないえてにくみてはもうさず、だいだいちからげんごくだい今生こんじょうさしめんとなり」

おおせであります。
 死後のげんごくだいに比べれば、今生にどんな苦難があったって物の数ではないですね。
 ここに、だい聖人しょうにんさまはこのげんごくだいを蒙古襲来という大罰をもって一切衆生を改悔せしめ、今生のうちにそのげんごくだいを消さしめ給うたのであります。これほど徹底しただいだいはないのです。
 ゆえに『しょ』には

げんことばたがわざらんをもってしょううたがいをすべからず」

だい聖人しょうにんさまげんが現世にいちぶんたがわなかった。
 そのだいげんしょうを見て、そのまま改悔しなければ後生にはげんごくちる。このことも知るべきである」

おおせになっておられる。
 まさに『立正りっしょう安国論あんこくろん』のげん的中こそ、日蓮にちれんだい聖人しょうにん本仏ほんぶつとしての絶大ぜつだいとくの証明であると同時に、一切衆生の死後のだいをお救いくださるだいだいであられることを深く拝したてまつらなければなりません。


令和5年 3月25日 3月度 総幹部会 浅井先生指導

令和5年 3月27日 3月度 男子部班長会 浅井総男子部長指導