一方宗門はどうか。
本来ならば時の貫首は学会の御遺命違背・御遺命破壊を見たらば断固としてこれを打ち砕かなければいけない。
しかるに、細井日達・阿部日顕の二代に渡る貫首は池田大作の強大な権力と金力に諂って同じように国立戒壇を否定し偽戒壇正本堂を「御遺命の戒壇」と讃嘆したんです。
大聖人様はこのような大悪を断じてお許しにならない。
もし貫首の権威を憚り、学会の強大を恐れてこの大悪を黙過したならば、これこそ大聖人様に対し奉る最大の不忠になる。
私はただこの一事を恐れて御遺命守護の御奉公に立ち上がった。
そして、諌暁が進むにつれ宗門と学会の間に亀裂を生じ、醜悪なる抗争が始まってまいりました。まさにこれが罰ですね。
今まで一枚岩のごとくに癒着しておったのが、顕正会の諌暁が進むにつれて次第に疑心暗鬼が生じて割れ出したんです。
そして、醜い抗争が始まってお互いに罵り合う。
学会の経済支援を失った宗門は「このままでは僧侶の生活が成り立たない」という状況になって、そこで、早瀬日如管長は登座3年後の平成21年に各末寺の法華講員を増やそうとしてこういう事を打ち出したんですね。
法華講員八十万人体制の構築を大々的に打ち出したんですよ。
いいですか、法華講員八十万人体制の構築の時の法華講員が何人いるのか私は知りませんが、とにかく目標として「八十万人体制を作る」という事を打ち出した。
すなわち「12年後の平成33年の日蓮大聖人御誕生800年までに法華講員を八十万人にする」(これは、今年の事ですね)「今年までにこの事をやろう」と号令を発したんです。
だが、私は思うんですね。
『このような事を言い出す前に、なぜ御遺命に背いた大罪を大地に身を投げて大聖人様にお詫び申し上げないのか』
この改悔なくしては弘通など口にする資格もないではないか。
所詮、学会も宗門も大聖人様を忘れちゃっているんですよ。大聖人様の御眼を恐れていない。これを「無道心」というんです。
このように、ふざけた八十万人体制の構築などができるわけがない。
その後、宗門は毎年毎年折伏が進んでいるような宣伝だけはした。
しかし、実態は全く沈滞そのものですね。
その証拠は何かというと、毎年正月の三が日に法華講員が全力を挙げて登山するという「初登山」という事が決められているんですが、この人数が年々減っているんです。これが何よりの証拠です。
この証拠をもって「八十万人体制なんかできるものではない」という事を言っているのであります。
早瀬日如管長が登座した直後の平成18年の初登山の人数は27,032人だった。
ところがその後年々減り続け、昨年の令和2年には何と17,180人に減ってしまった。
これは私が言うのではないんですよ。『大白法』という法華講連合会の機関誌があるんですが、それに毎年の結果を発表しておった。ですからこれは正確な数ですよ。
今申しました平成18年の初登山の人数(これは早瀬日如管長が猊座に登った直後ですが)27,032人。
そして、昨年の令和2年には何と17,180人となってしまった。
この15年間で法華講員が約一万人も減ってしまったんです。こんな事がありますか。これでどうして「八十万人体制」などができようか。
しかるに、早瀬日如管長は本年の年頭の辞において突如こう言ったんですね。
「今回見事に八十万人体制構築の誓願を達成する事ができました」とこう言った。
これは、宗門機関誌『大日蓮』における発表ですが、同じ『大日蓮』の号に宗務役僧や末寺住職の代表が大勢みんな念頭決意を書いているんですが、それを見るとみんな口をそろえて「今年こそ八十万人体制目指して頑張ります」と言っている。
一人として「八十万人体制を達成した」とは言わない(爆笑)。
そうなるとこれは、早瀬日如管長一人が自分の面子上大嘘をついた。
そして、これを聞いている僧侶たちは誰一人として『できやしねえ』とみんな内心は思っているに違いない(爆笑)。
まことに、早瀬日如管長一人が「達成できた」と大嘘をついている。今の宗門は信心を失っているのです。
だから、ある時は学会に諂って国立戒壇を否定して正本堂のたばかりに協力したかと思えば、学会と争いを起こせば何と身延派の坊主達も何回も登山に招いていたでしょう。
これは、対学会の戦いのために身延派同士とも協力する。これは、同業者としての僧侶同士のよしみです。そういう事で招いた。バカな穢らわしい事をやった。
清浄なる大石寺に身延派の坊主を何回も招いたんですが、その中の一回には身延派の管長になる田中日淳という坊主を招いた。
私は身延派の坊主の名前をすぐ忘れるようにしているんですが(大爆笑)、間もなく身延派の管長になる田中日淳という坊主を招いた。そのような者までも大石寺に呼んだんですよ。まことにみっともない事であります。
さらに今「八十万人体制」などど虚勢を張って、その挙句に大嘘を吐いて平然としている。
その行動原理というものは保身だけですね。自分達の身がどうしたらば楽になるか。お金が儲かるか。これしか考えていない。頭の中に大聖人様の事は少しもないんです。
こういう無道心な事だから何をやっても嘘ばかりつかなければとりとめがつかなくなった。
私はこの姿を見て「大聖人の御眼を恐れよ」と言いたい。
令和3年 3月25日 3月度 総幹部会 浅井先生指導