『立正安国論』に宣給わく
法を破る者を置いて呵責し、駆遣し、挙処せずんば、当に知るべし。此の人は仏法の中の怨なり。
2020年代の決戦場を眼前にした本年の最終法戦、空前の35,393名の大法弘通が敢行され、ついに会員総数が213万7千名に達した事には驚きと歓喜があふれました。
「『この213万7千の地涌の菩薩の団結をもって、いよいよ広宣流布の決戦場に臨むのだ。大聖人様の御照覧を賜われるのだ』と思えば、ただ胸躍り、全身が引き締まるを覚える」との仰せには、決戦場に臨まれる先生の大歓喜と御決意をひしひしと感じ「迎える総仕上げの12月、鉄壁の陣容を打ち固めてまいらん」との決意が突き上げました。
冒頭先生は、以前に比べて広告文に対する反応が変わってきた事に触れられ
「人々が、そこはかとなく日本の将来、自身の将来に対して不安を感じ始めている。
ゆえに、人生の杖・柱を求め、心の奥でお救い下さる仏様を求めるようになる」
と指導下さいました。
打ち続く異常気象や迫り来る巨大地震の連発、そして、2020年代の中頃に訪れる大飢渇たる世界大恐慌、さらには、刻々と迫る他国侵逼、これより、諸天の戒めは激しさを増し、日本が国家存亡の危機に立たされる時「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」との重大な師子吼が始めて全日本人の心魂に徹し「日本国一時に信ずる事あるべし」の究極の一時点が来る事も疑いなく、なればこそ、月ごと年ごとに戦いの加速度を増していく事を大確信するものであります。
それにつけても、本年3月に先生が叫ばれた有羞の僧がついに現われてきた事には驚きを禁じ得ぬものでありました。
興正院足立淳正住職の御遺命守護の戦いに感銘を受け、先生に敬服する思い、また、御遺命のゆえに宗門から擯籍処分を受けるとも信念を曲げなかった松本日仁尊能化への尊崇の気持ち、さらには、御遺命を枉げた池田大作と宗門僧侶に対する悲嘆と軽蔑の念、そして堂々と「私は『国立戒壇こそが日蓮大聖人の御遺命である』と強く確信しております」と言い切る捨て身の決意。
今後正信会を始め宗門から受けるであろう様々な仕打ちをも覚悟の上で、欲も名利も保身もないその純信には胸が打たれ、先生の
「大聖人様への忠誠心から捨て身でこの決意を表明した。私はその信心がうれしかった」
との仰せが染み入りました。
本年3月、先生より「有羞の僧出現」の指導を頂いた時はそのような兆しすらなかっただけに、まさかこんなに早く有羞の僧が出てくるなど思いもよらず、時なるがゆえに情勢が一気に変わっていくを痛感いたしました。
本年7月に先生が早瀬日如管長を直諫され、そのわずか58日後に国立戒壇への怨嫉を抱き続けた阿部日顕が命終、大聖人様によって宗門追放されるのと時同じくして有羞の僧がいよいよ出てきた事に「宗門は、新しい段階に入らんとしている」との仰せが強く胸に迫りました。
今後、正信会からも宗門からも続々と有羞の僧が出てくると共に、いよいよ国立戒壇に怨嫉する悪侶らが追放される日も遠からずとの確信はいやますばかりであります。
そこに、今般「国立戒壇は御書にはない」との宗門僧俗が今だに構えるたばかりに対する完膚なきまでの破折を頂けた事は有難さの極みでありました。
まず先生は
「御書には『国立戒壇』という言葉がないから国立戒壇は誤りだというのなら、法華経には『一念三千』という言葉はない。
では、この言葉を用いた天台大師は誤りを犯した事になるか」
と反詰され、天台大師は法華経に『一念三千』の言葉はなくとも所詮の義に約して「一念三千」と述べ、大聖人様はさらに一重深く「寿量品の事の一念三千の三大秘法」と仰せあそばされている事を挙げて
「これ『三大秘法抄』の御文と国立戒壇についても全く同じで、たとえ『三大秘法抄』に『国立戒壇』という言葉はなくとも所詮の義に約して『国立戒壇』と称するのである」
との道理を明解にお示し下さいました。
次いで『三大秘法抄』の御文を拝し奉られ
「国家が宗教の正邪に目覚めて『日蓮大聖人の仏法こそ国家安泰の唯一の大法、一切衆生成仏の唯一の正法である』と認識し、天皇も大臣も国民も一同に本門戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉り『戒壇の大御本尊を守護し奉るにおいては身命も惜しまず』の大護法心が国主以下全国民にみなぎった時、国家意思の表明をもって戒壇建立の手続きとする戒壇はまさしく国立戒壇である事。
さらに『三大秘法抄』の御文を要言すれば『一期弘法付嘱書』の『国主此の法を立てらるれば』の御文となり、この御文を約言すれば国立戒壇となる」
として『三大秘法抄』と『一期弘法付嘱書』と国立戒壇の関係性を明らかにされました。
そして、歴代先師上人が『三大秘法抄』『一期弘法付嘱書』の御意を「国立戒壇」という言葉で表わし、叫び続けてこられた歴然たる文証を明示下さいましたが、いささかの反論すら許さぬ徹底せる破折には、胸のすく大感動を覚え「これこそ、無道心の悪侶を呵責する大利剣である」と心腑に染めたものであります。
ここに先生は
「今なお池田大作・阿部日顕のたばかりのまねをして国立戒壇を否定する悪侶があるならば御本仏に敵対する逆賊であり、呵責し、駆遣し、挙処して速やかに宗門追放すべき事、また、国立戒壇が捨てられ、正本堂が御遺命の戒壇と決められた当時、一言それに異議を唱えなかった全僧侶は改めて『国立戒壇こそ大聖人様の御遺命である』事を表明しなければ大聖人様に申し訳ない」
とそのけじめのつけ方を示されました。
まさしく、正系門家の僧侶において師敵対の逆賊は宗門追放し、あるいは当時与同した僧侶は「国立戒壇こそ日蓮大聖人の御遺命である」事を宣示して始めて御遺命破壊のたばかりが終結するものと深く心得させて頂きました。
正系門家がいつまでも御遺命に背く事をもはや大聖人様がお許しにならないのであれば、これとても事実となる事は断じて疑く、先生の背景たる戦いをもってお応えするのみと覚悟を固めるものであります。
最後に先生は、御生骨の大事に言及するのは新仙台会館御入仏式が最後であり、その所以を
「広宣流布が近いからである。
あとはもう『御金言に云く、広宣流布の時、光明を放つ可し』の大現証を拝観させて頂くだけである」
と指導下さいましたが、広布の決戦場を眼前にされた先生が我ら弟子に広宣流布は甚だ近き事を教えて下さり、そして「光り輝く御生骨を共に拝観させて頂こう」とのもったいなきお言葉までかけて下さったものとその御慈愛に熱涙が込み上げました。
昭和31年4月、第六十五世日淳上人御登座の折に先生が御生骨を拝観された時の
「すでに御肉が盛り上がって御歯の全体を包み、御肉の色は薄紅色のごとくに拝見でき、それは『広宣流布近し』を示し給うておられるごとくであった」
との仰せは夢寐にも忘れるものではなく、また、この時並び出だされた国立戒壇堅持の三上人が相次いで御遷化され、宗門は細井日達管長が一人貫首職となり、学会も第三代会長池田大作の一人天下となり、ここに、第六天の魔王が動き出す時が作られた時に浅井先生が正系門家におられ、先生の血のにじむ御遺命守護の戦いにより、偽戒壇正本堂は崩壊し、御遺命破壊の五悪人はすでに亡び、あるいは亡びんとし、最後の最後まで国立戒壇への異常な怨嫉を抱き続けた天魔その身に入りし阿部日顕は大聖人様に宗門追放され、五十有余年に渡った御遺命破壊のたばかりもついに最終章に至った事こそ、まさしく大聖人様が浅井先生をして広布前夜の大魔障を下し給うたものと伏して拝しては、先生の重きお立場に熱涙を禁じ得ぬものでありました。
同時に、先生の激闘に伴う数々の不思議を拝見する時
「広宣流布はただ大聖人御一人の絶大威徳と大慈大悲の力で成される。
だから私は、広宣流布ができるとかできないとか心配した事がない。そんな事は凡夫が心配する事ではない。
顕正会はただ大聖人様の御命令を信心の耳で聞き奉り、御奉公すればよい」
との仰せが千鈞の重みで胸に迫り「御遺命成就の戦いはいよいよここから始まる」との大号令を帯し、広宣流布の決戦場に身を捨てて御供させて頂かんと熱鉄の闘志が込み上げてまいります。
されば、迎える12月、三大綱目を強力に推進し、いよいよ2020年代に臨まれる浅井先生に全力でお応えしてまいろうではありませんか。