発足ほっそく30周年を迎えまして、本日ほんじつ顕正会の過去かこ30年のれきつぶさかえりみまして、万感ばんかん胸にせまるものでございます。
 本日ほんじつのこの意義いぎぶかつどいを、今はもんせんせいも必ずりょうぜんより見ておられるにちがいございません。
 今、顕正会の過去かこ30年の足跡そくせきかえりみて、なかんずく、遺命ゆいめいしゅたたかいをかえりみて、私はあらためてを感じたものでございます。
 当時、創価学会のけんりょくというものは大変たいへんなものでありました。
 一千万のせいりょくゆうし、宗門を完全かんぜん制圧せいあつし、そして、日蓮にちれん正宗しょうしゅうしんなら誰人だれびとも背くことのできないげいほっけんおもうままにあやつって宗門に君臨くんりんをしておった。
 この絶対ぜったいけんりょくというものは、せんちゅう天皇てんのうけん悪用あくようしておったぐんの凄まじさを想像そうぞうさせるものでありました。
 たとえこの学会に対して当時のみょう信講しんこうかんぎょうに立ち上がろうと、歯牙しがにもけず完全かんぜん無視むしをするというようなことがあっても当然とうぜんことでございました。
 しかも、一度ひとたびみょう信講しんこう遺命ゆいめいしゅに立つや、しょう本堂ほんどう誑惑おうわくかんぎょうするや、あの学会がだいひょう幾度いくたびとなく対論たいろんに出ざるをなくなって出してまいりました。
 そして、あのおごりきった学会が、ついに文書ぶんしょをもって二度までしょう本堂ほんどう誑惑おうわく訂正ていせいをする。
 そして、宗門におきましては、学会のさきとなっておったしゅうとうきょく責任者せきにんしゃ早瀬総監と当時の阿部教学部長の二人が、顕正会のかんぎょうによって共に細井管長にひょうていしゅつするというようなことがあった。
 さらに、こっにおいてはちょく相当そうとうするような宗門における管長のくん、これほど重大な文書ぶんしょが、みょう信講しんこうかんぎょうによって「くん訂正ていせいする」というようなことまで成された。
 そして、細井管長はこのことのために、みょう信講しんこうのために何回も何回もとうきょうこうせられてお会いになられた。本山ほんざんからわざわざ何回と出てこられた。
 でこういうようなことを見ますると、まさに、みょう信講しんこうかんぎょうを機に宗門全体がうごいたのであります。
 このようなことぼんの力でもって成しるはずがない。いちみょう信講しんこうの力ではない。
 なぜこのようなことおこなわれたのかというならば、日蓮にちれんだいしょうにんさま御威ごいとくであります。
 みょう信講しんこうの後ろには本仏ほんぶつだいしょうにんさまがついておられた。
 言葉を変えて言うならば、だいしょうにんさまが正系門家の中において遺命ゆいめいの破られるのを見て、みょう信講しんこうをしてたしめた。みょう信講しんこうをしてかんぎょうせしめた。
 このだいしょうにんさま御威ごいとくあればこそ、あのおごりきった学会が、そして、だいげいくんまでも訂正ていせいおこなわれたわけであります。
 これをもっておもうに、将来顕正会がひゃくまん千万せんまんとなり、だいしょうにんさまぶっちょくこうむって、第三のたたかいをしんしんと進める時、また一国いっこく必ずうごくと私は確信かくしんしております。
 だいしょうにんさま御威ごいとくによりとらうそぶけば大風だいふうく。りゅうぎんずればくもこる」とのこの金言きんげんのごとくに、必ず一国いっこくりっしょう安国あんこくせい深刻しんこくかいしなければならないこういうようなだいが必ずきてまいります。
 そして、ついには「ただをかせたまへ、梵天ぼんてんたいしゃくとうはからいとして、本国ほんごくいちしんずることあるべし」とのそういうようなだいに必ず立ち至るのであります。
 ここに、発足ほっそく30周年を迎えまして、顕正会の過去かこ30年のれきは、宗門700年のれきにおいて燦然さんぜんとしてかがやいております。
 ただし、いま遺命ゆいめい広宣こうせん流布るふ国立こくりつ戒壇かいだんこんりゅう達成たっせいされておりません。
 ここに、顕正会はまっしぐらにだいしょうにんさまのお待ちあそばす法戦ほうせんじょうに向かい、急ぎ前進ぜんしんをしなければなりません。
 ここに、本日ほんじつの30周年を迎えて、いよいよ顕正会がいっみだれざる団結だんけつをもって、だいしょうにんさまのお待ちあそばすだい法戦ほうせんじょう目指めざして急ぎ前進ぜんしんのテンポを速めて驀進ばくしんかいしようではありませんか。