その1はこちら
先生は、真の懺悔の姿につき「世親・馬鳴・嘉祥大師のごとく舌を切り、頭を刎ね、身を肉橋にして仕える姿こそが真の懺悔である」事を指導下さいましたが、阿部日顕の謗法は下種の御本仏に対するものであり、しかもその最も大事な御遺命を破壊した罪過は、この三人の謗法に過ぎる事百千万億倍であり、まして当時、宗門の教学部長の立場で数百万の信徒を騙した大罪は言いすぎやはみ出しなどのごまかしでどうして消えるのかとそのいささかの改悔なき姿に反吐が出る思いとなり、阿部日顕を宗門から追放せねばならぬ事を心いたします。
阿部日顕は御遺命の戒壇に代わるものとして「民衆立」を宣伝した正本堂と全く同じ性質の「国主立戒壇」なる珍説をこしらえ、どこまでも憲法改正を忌避しておりますが、もとより、仏法を渡世の具として、坊主の食い扶持稼ぎために信徒を騙し、供養を貪る無道心の輩に、一重の大難を乗り越えて「広宣流布を成し遂げん」との大聖人様への忠誠も覚悟もあろうはずもなく、いや、もとより禿人どもにしてみれば己の生活のためであれば、大聖人様の御聖意を踏みにじる事も痛痒すら感じないのであり、このような輩が御遺命を一人守り奉られた大忠誠の浅井先生の事を口を極めて誹謗する事は言語道断、激しい憤りが突き上げてまいりました。
平成16年のこの阿部日顕の国立戒壇への怨嫉に対して先生は、平成17年3月、阿部日顕の三大謗法を挙げて、百万顕正会の解散を賭して公開対決申し入れをされましたが、邪義破折班名義で逃げを打つ阿部日顕に対して先生は重ねての対決申し入れをされ、それでも代人を立てる事もせず対決から完全逃避した阿部日顕に対して『最後に申すべき事』をしたためられ、とどめを刺されたのであります。
かくて、同書送付より3ヶ月後の同年11月7日「大扉開かず」の現証に畏怖を感じた阿部日顕は、その翌月、宗制・宗規を改定してまでしがみついてきた終身法主の座から翻然と逃げ出し、退座したのであります。
先生が『最後に申すべき事』の末文にしたためられた
「用捨は貴殿に任す。
小生はただ謹んで御本仏日蓮大聖人に言上し奉り、御裁断を仰ぐのみである」
との仰せが強く身に迫り、先生の諌暁こそまさしく大聖人様の御意に寸分も違わぬゆえに厳として諸天が動いたものと伏して拝するものであります。
先生は、平成16年の阿部日顕の講義録を今新たに発刊した破廉恥を「何とも愚かしい限りである。昭和40年代より長きに渡った正系門家における御遺命破壊のたばかりもいよいよ最終章に至った」と断ぜられた上で
「正系門家がいつまでも無道心の禿人ばかりでいるわけがない。
濁悪の極にある正系門家の中から必ずや正義に目覚めて立つ有羞の僧が二人・三人と出現する事を確信している。
広宣流布の時には日目上人が御出現になる。その広宣流布はもう近い。
ならば、どうして日目上人御出現の露払いとして、正直にして道念ある僧侶が次々と出現しない道理があろうか」
と御胸中を明かして下さいましたが、胸が締め付けられる思いとなりました。
今回先生が本門戒壇の御聖意を具に指導下さったのも、我等弟子に対する指導であると同時に「有羞の僧が目覚めれば」との切なる思いが込められたものと拝察せずにはいられませんでした。
思うに、宗門・学会の誰しもが想像もし得なかった偽戒壇正本堂の崩壊が先生の諌暁によってわずか26年で事実となった事といい、さらには、終身法主を目論んだ阿部日顕が先生がしたためられた『最後に申すべき事』でとどめを刺され、ついに自ら猊座から逃げ出した事といい、これら不思議の大現証を拝見するほどに、御遺命破壊のたばかりも最終章へと至った今、日目上人御出現の露払いとなる正直にして道念ある有羞の僧が出てくる事も断じて疑いなしと大確信してやみません。
されば、誓願三万を「顕正会の底力、地涌の菩薩の面目にかけてこれを大きく突破したい」との御命令をいよいよ身に帯し、目の覚める大折伏の証拠をもって三百万を急がれる浅井先生に断固お応えしてまいろうではありませんか。