5月になりました。今月もどうぞよろしくお願いいたします。
新年度を迎えましたので、何となくブログの紹介から始めてみます。
更新は月2回目指していますが、1回になったり3回だったり。
詰まるところ、不定期更新の主婦ブログです。
記事の内容としては、趣味の観劇記録や介護の大きなエピソードの記録、そしてくも膜下出血の闘病記録からの、その後の体調報告といった感じです。
2020年7月28日に、突然のくも膜下出血発症により、生死を彷徨い4ヶ月半の入院の末、復活。
あまりに唐突で、人生最後に観た舞台、最後に食べた食事など、何も覚えていないのが、とても悔やまれたので、記録をし始めました。
姑の介護チームに戻り、働いて観劇できる体調に戻るため頑張ったリハビリ記録はこちらです
需要ある方のご参考になれば幸いです。
今回は、気づいたら1年が嵐のように過ぎ去った、姑の介護記録となります。
去年の今頃どう過ごしていたのかと、過去の記事を見たら、姑の特養入所に関しては全てカタがついて、バタバタしながらもやっと行かれた観劇記録しかありませんでした。
楽しみにしていたのぶやぼから、もう1年!!無理矢理行った感、でも母との観劇はやはりこれが最後になるかと。
行かれてよかったです。
当時は独居の母も、公演の直前体調を崩していて、母の様子も気にかけながらで、更新する余裕もなかったようです…。
その母は、今年2024年3月3日の、なき父の誕生日にグループホームへ入所。
1年前の5月7日までのドタバタは、ドラマティックでした!
特養入居前は、サ高住住みだった姑は、2023年の3月半ばに、ベッドから転落。
本人はまるで覚えていないのですが、深夜0時過ぎ「ベッドの下に滑り落ち、立ち上がれない」と電話があり、ナースコールもできず、こちらから施設に連絡して、またベッドに戻してもらうという事件があり、
その後腰痛がひどくなり、病院嫌いなのに、受診したいと姑自らが言うのでよほど痛いのだろうと、整形でレントゲン検査を受けたところ、腰椎に2箇所、古いものと新しい圧迫骨折が見つかりました。
コルセットを巻いて、しばらくは安静のため食事とトイレはベッド上で(せめてポータブル)と言われましたが、理解できない姑は大げさだと反発して、痛い痛いと言いながらも、トイレに何度も通い、治るものも治らない。
そして、また転んだら寝たきりになるリスクもあり、入院すると認知症のサプリなど一切飲めなくなり、また脳機能がガクッと落ちることを恐れ、ケアマネと相談し、ショートステイを利用し始めました。
何故か、この記事が1番閲覧数が伸びています?!家庭での介護に限界を感じている介護者さんが、水面下でかなりの数いらっしゃるのでは。
ショートステイはその時頼みたくても、空きがないと預かっていただけないし、また何日間か連続でお願いしたくても、ベッドが空かない期間は戻されてしまいます。
やはり週末や、連休は満床です。サ高住に連れ帰り、家族が付き添うには都合よかったのですが。
この時は、子供たちも動員しました。
空きがある違う施設に…となると、諸手続きも煩雑になるし、姑も余計に不穏になるだろうと考えました。
合間はサ高住に戻り、隣に布団を持ち込み、泊まり込みで見守りするという体制を選択しました。
私と義妹が仕事しながら交代で泊まり込みました。月曜日はみんな仕事なので、日曜日の泊まりは諦めました。腹を括ったと言っても良い。
姑の無事を確かめては、ほっとする毎日でした。
朝6時から仕事が始まる夫には、異性ということもあるし、現実的に夜中のトイレ介助は難しい。昼間担当です。
食事も居室で摂りましたので、朝食は無理でも、せめて1人で食べることのないようにと思いました。
安静が守れない姑は治る見込みが立たず、いつまでこの生活ができるか?
私は、もう血圧が上がり始め、姑の転倒より、私のくも膜下出血再発の方が家族が大変になる。焦りました。続けられるわけがない。
義妹も、健康面で不安があり、会社で責任ある立場なのに、私が泊まれなければ、夜の付き添いできるのは義妹だけになる。
そのために、義妹が身体を壊すのも避けなければ!!
特養入居も視野に入れ、ケアマネにも賛同してもらい、全面的に協力してくださって、入居希望の書類などすぐ揃えてもらって、提出してあったのですが。
5/7に、キャンセルが出て入所可能ですと、サ高住の系列の特養の担当者さんに、突然言われたのでした。
数年待ちとかよく聞くので、まさかまさかで。
こちらの気持ちが追いつかず、一瞬思考停止してしまったのですが。
5月7日は舅の祥月命日です。これは、舅が背中押してくださっていると感じました。
お会いした事のない、義父。でも、義妹もそう感じたと言って、2人で泣けてしまいました。夫が1番躊躇していたかも。
2023年5月7日、ショートステイが明けて、一旦外出し、舅のお墓参りに家族で行きました。
容態が大分落ち着いた姑も同行して、義実家で、4月生まれの姑のお誕生日会と、お墓参り後のお清めかねて、外注の料理で催しました。
姑はまだまだ食欲旺盛、このくらいはペロリと平らげます。食後のケーキもしっかり食べて、大喜びしてくれました。
満腹になったところで、夕食から特養のお世話になることになっていて、ショートステイの施設と同じですが、特養の居室へ送ることにしていました。
前日に家具や荷物を運び込み、サ高住の居室と雰囲気をなるべく似せて、すでに整えてあった居室で、今後生活をしていただくことに。
サ高住の居室はすでに空っぽにしていました。
戻ってしまうと連れて行くときに辛くなる。ショート明けて即入居として、正解だったと思います。
しばらく混乱していましたが、1年経ち表情が穏やかになったと感じます。
「帰りたい」
「今すぐ迎えに来てください!」
泣いたり怒ったりしながら、何度も電話が。1年経った今でも、
「夕食食べたけど、どこで待っていればいい?」
と電話が来ます。
サ高住も約3年いましたが、
「まだ慣れない、入ったばかりだから」
と言っていた姑。短期記憶がもう数分と言うか秒?瞬間に生きる姑ですから、特養にも、慣れる事はきっとないでしょう。
私の勤務先デイサービスでの出来事です。90歳↑の女性の利用者さんが、2ヶ月近くの入院生活を終えて再利用となり、昨日久しぶりにお会いしました。
お話し好きで、よく笑っていたのに発語がなくなり笑顔も消えて。トイレから出たばかりのところで、お見かけしてご挨拶したのですが。
「トイレに行かなきゃ!」
いやいやいや今出たところですよー!という会話をして、少し悲しくなりました。
もう、以前の笑顔は見れないかもしれない。
転んだり風邪を引いたりして寝込むと、高齢者さんは脳機能もグッと落ちますので、とにかく寝込まない。
「転ばないで」
「風邪引かないでくださいね」
が、挨拶がわりです。
デイサービスで、高齢者さんが楽しく安全に過ごしている間、ご家族は不安なく働けたり休めたりします。
自分自身が、介護スタッフさんたちにうんと助けられて、今まで生きてこられました。
利用者さんだけではなく、会った事のない、日々介護に奮闘している、ご家族のために働くという意識が強くなりました。
姑の夜の付き添いで血圧が上がり、母の付き添いで喘息がぶり返した。
私がへなちょこなのかもしれませんが、私が先に死んではいけないので、もう介護の外注を厭わない。
プロとスクラム組んで、お互いが穏やかに過ごせたらと思います。
1年経って、前倒しで5月5日に舅のお墓参り。息子と、義妹の連れ合いは欠席で、男性は夫のみ。
全員で撮った記念写真を、プリントして今日姑に届けました。
とても喜んだのですが、1人ずつ名前を言って、夫がどうしてもわからない。
「この男の人はわからないなあ」
…ああ。
ルーペで見たらわかったのですが、また写真を眺めては、この人わからないとなります。
行く道です。姑が、身を持って教えてくれている。2024年5月7日の記録でした。
脳トレに励みます!!
お墓参りのあと、楽しくお茶してから義妹が姑を特養に送り、夫と娘と私の3人で、霊園近くのバラ園に寄り帰宅。
娘が、夫と私を背後から撮影して、画像を送ってきました。
親が仲良いだけで、子供は嬉しいようです。これも、子供孝行かな笑
先日は専門学校の友人の、お母様の訃報が届きました。友人が、お母様の命日は、1年ちょっと前に先になくなられた、お父様の誕生日だったとLINEで伝えてくれました。
私のXデーは、夫の誕生日と重なるでしょうか?
とにかく我が家のGW、無事終えました。
今日は、春の嵐で天気は大荒れ。天候不順のまま梅雨になり、猛暑が始まる?!今日は、目眩が辛かったです。
季節の変わり目でまだまだ不安定な日々。どなた様もご自愛ください。