2月も終盤となり、暖かい日が続いています。コートの下のダウンベストを、あまりの暖かさに脱ぐ日もポツポツとあります。地元の早咲きの桜も開花。





くも膜下出血を克服し、復職も果たして、仕事と家事と介護に趣味と、忙しく生きております。沢山の方々のお力添えのお陰様です。


リハビリの記録はこちらにダウン




50代と言っても、還暦に近いのでアラ還の50代です。50代の親は、平均的にアラ8でしょう。


子育てを終えて、ほっとしたのも束の間。今度は病魔や介護が押し寄せる荊(いばら)の50代。


子供の教育費をやっと払い終えたら、今度は自分の医療費や親の介護費用の、決して安くはない請求が押し寄せる。


父が54歳でなくなるのも無理はないなあと思いました。嫁いだ年が、舅の三回忌だった。義父は、52歳で、なくなっています。


50代を無事乗り越えられたら、長寿のスタートラインに立てるのか?!


長生きばかりが良い事とは思わないけど、年金受給前に死ぬのは悔しい気もします。



現在、母は85歳で都営住宅に独居。6年目となりました。


明るく、笑顔を絶やさず人と仲良く、頑張って長い後家生活を過ごしてきた母。


ここが自分の終の住処と言っていたけど、グループホームの入所を間近に控えています。もちろん慣れた団地を離れたくないと言ってます。


小さなトラブルが頻回となり、駆けつけることが増えました。


耳が遠くて、電話や来客もわからない事が多いし、脳動脈瘤が大きくなり、その影響で複視が強くなり転倒リスクも大きい。


先週は、母の脱水騒ぎでてんやわんや。私まで具合いが悪くなりそうでした…。


昨年、夏に一度脱水で大変な思いをしたので、義妹が経口補水液の粉末を用意してくれていて、今回とても助かりました!





まずいから飲みたくないと言っていた母が、脱水当日はとても美味しいと言って、よく飲んでくれました。


発端は、夕食の値引きした天丼と缶ビール。母1人の夕食用に、義妹がおかずを作ってせっせと運んでくれたり、冷凍の魚のおかずなどもあるのですが、


グループホームへ入居する事を母なりに渋々納得し、断捨離に精を出して、1日片付けを頑張った自分のご褒美として、近所のスーパーで買ったとの事でした。


就寝前から胃のムカムカが始まり、まもなく嘔吐に加え、下痢が一晩中続いたそうです。


トイレの行き来でほとんど眠れずに朝となり、呂律が回らない口調で、義妹に電話。頭痛と悪心そして発熱を訴えたらしく、すっかり弱気になり、


「もうダメかも」


と話した母。弟夫婦が慌てて、母の部屋に向かう道すがら義妹から連絡が入りました。


2月12日(月祝)の事でした。私は出勤で、もう会社の近くまで来ていたので、そのまま会社へ行きリーダーに事情を話しお休みもらって、Uターンして駅へ。


仕事のユニフォームを着込んだまま実家へ急行しました。ジャンバーを着ていますから、どうということはないのですが。


訪問看護ステーションからナースさんが来てくださって、脱水の可能性ありとわかり、経口補水液を飲んで様子を見ることになって。


弟夫婦は大事な会議があるからと、母の容態が落ち着いたところで、私とほぼ入れ替わりに出勤。


真っ白い顔で静かに眠っている母が、生きているのか?!と、心配になり、掛け布団が上下に動くのを何度も確認しました。



訪問診療のドクターも来てくださって、血液検査の結果炎症反応もあると言われ、急性の感染性胃腸炎の疑いもあるので、抗生物質までいただいて。


りんごのすりおろしなど少し口にはしましたが、目覚めたら水分を摂りまた眠り、を繰り返しました。ほぼ固形物は取らずに、その晩もよく眠って、翌朝を一緒に迎えました。


嘘のように元気になって、気分も良くなった母。カーテンを開けたり、洗濯物も干したり、少しずつ動き始めて笑顔も出て、


そして言いました。


「私、何でもできるし、ここでまだ暮らしていかれるわよ。せっかく都営当たったのにもったいなくて!」


…元気になった証拠。笑って無言で聞き流しました。


こんな生活が続いたら、こっちが先に倒れてしまう。そして、介護者がいなくなれば困るのは自立不可能な母。


この事が、なかなか母の脳に入らない。



会社にもお詫びをして、水・木・土は一生懸命働きました!


老親持つ子供の苦労は、スタッフ全員が理解してくれる、デイサービスが職場なのがありがたいです。


利用者さんが安全に楽しく運動したり、脳トレやお仲間とお喋りをして、その間ご家族はそれぞれの仕事を頑張れたり、ゆっくり休んでいただいたり。


母が元気な時は、どなたかがそんな他愛もなくかつ安心安全な1日を過ごせるお手伝いを、今度は自分がデイサービススタッフとしてできることも、ありがたく思います。


父をなくした時はまだ10代でしたので、父親世代の利用者の方には、自分の親にはできなかった、親孝行のようなつもりで関わっています。


ご利用時間内に限る、にわか親孝行ですが。


介護に関しては、アマチュアの家族より、プロの他人がお世話した方が、家族も本人も助かる事が往々にしてあると肌で感じています。




急な休みをいただき、翌日は元々の休日で、休み明けが2月14日のバレンタインデーでした。


お詫び方々、職場のスタッフさんへチョコをお渡しして。家族にももちろん毎年用意してあるチョコを、朝渡しました。




嫁いだ娘からも、チョコクッキーとチーズケーキが届きました。忙しい中、ありがとう涙







仕事があるって、ありがたい。介護に明け暮れるのが、嫁として、娘としての義務と思われていた時代は、昔話。


現代の主婦は、不景気でも明るく元気に働いて、夫とともに家計を支えている。


仕事をしている時は、社会人の自分にスイッチが切り替わる。


この事が、メンタルを保つため私にはとても大切でした。今、また実感しています。


姑とまだ同居していた頃、1人でいるのが不安で仕方なくなった姑に、真面目にこう言われた事が。


「会社と同じお給料を私が払うから、仕事辞めて家にいてほしい」


一瞬、黙り込んでしまいました。


私の24時間そして人生の一部を、当時の収入の月15万円くらいのお金で買いたいと言われてる?嘘でしょう!!


キッパリお断りしました。給料3倍もらったって合わない。


言いませんでしたが、そう思った私は、鬼嫁でしょうか。



母にはそう言われたわけではないですが、余計なストレスかけずに、なるべく一緒にいてサポートしてあげたい。


母に対しては自らそう考えて、色々シュミレーションしてみましたが。


やはり、自分の家族にまで犠牲にする。職場には迷惑かける。自分の健康状態も不安。


グループホームしかないかなと、結論を出しました。



最近、25年自分が喘息だと忘れていましたが、実家に泊まった日に発作が起きて驚きました。


慌てて主治医に、懐かしい吸入薬をもらって、お守りがわりの持ち歩く様に。メプチンエアー。何だか現代的にカッコよくなってます!



2回使ったのですが、持っているだけで安心感があり、ストレス軽減する効果もあるようです。出番がない日のが多いのですが。


母を残して死なない。


強く思います。そのためには、お金は掛かっても施設入居はもう必須。


このまま、突き進みます。入居日は、3月3日。この日は何と、なき父の誕生日。


姑の特養入居日は、舅の祥月命日でした。おじいちゃんたちも、応援してくれてるんだと感じました!


感謝。



闘病中リハビリ中の皆様。元気になっても色々な事がありますが、生きてて良かったという気持ちは微塵も変わりません。


1日も早いご快癒を、祈願いたします。






梅は早くも散り始め、菜の花の黄色にハッとします。


独歩する姑を、最後に連れて行った梅の花見。出勤前に、その梅を眺めています。


花見の数日後にベッドから転落し腰椎圧迫骨折が元で歩けなくなり、特養入居した2023年。


2024年の幕開けは、実母のグループホーム入居。とにかく入居まで無事過ごせるようにと祈る日々です。


そして、自分ファーストで。私が倒れたら、家族が大変。


頑張り過ぎないように、頑張ります!


1月は、グループホームの見学を入れ込んでいましたので、観劇は我慢しました。


2/23観劇予定の、朝ミュージカル東京が、今年の初観劇で初ミュージカル。行かれるか?!わかりませんが、ぜひとも行きたい!!


https://asamusical.amebaownd.com/


昨年は、姑の事で1度キャンセルしてしまいました。


3/1観劇予定でしたが、母のグループホーム入居が決まりキャンセルしてしまった朗読劇。楽しみだった!配信あるそうなので、拝見したいと思っています。せめて宣伝させていただきます。


岩田華怜さん初主宰。今井雅之さんのご縁です。今後も応援しております。生きて、演劇頑張ってくださってありがとうございます!!